♪また逢う日まで 逢える時まで 別れのそのわけは話したくない…

 ♪ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して その時心は何かを話すだろう…

 

…といえば、どなたも良くご存知の歌ではないでしょうか。

立派なもみあげや髭がトレードマーク。日本人離れした風貌でダイナミックな歌唱力を誇った尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が今回のテーマです。

 

 

 「せっかくいい曲なのに、もったいないな…」というある人物の『諦めない情熱』が、結果的にはオリコン1位、100万枚超の売り上げ、レコード大賞受賞といった大成功に繋がったのです。

 この曲で尾崎紀世彦はトップシンガーの仲間入りを果たし、作家の阿久悠や筒美京平にとってもヒットメーカーとしての地位を確立することとなりました。

 

 既にご存知の方も多いと思いますが、もともとこの曲は尾崎紀世彦のために書き下ろされたものではなく、とても数奇な運命をたどった歌でした。

 

 最初は1969年、ある家電メーカーのエアコンのCMソングの候補曲を筒美京平が3曲書き上げ、その中の1曲に「アンパンマン」でお馴染みのやなせたかしが詞を付け(歌詞不詳)槙みちるが唄ったものでした。

ところが、突然スポンサー側の意向が変わり、やむなくお蔵入りとなってしまいます。

 

 翌年、筒美楽曲の管理者でもある音楽出版社・日音の村上司プロデューサーは、この曲をこのまま埋もれさせるのは惜しいと考え、作詞家・阿久悠に「この曲に新しい詞を付けて、世に出してやってくれませんか?」と依頼しました。

そうして出来上がったのが、当時「白いサンゴ礁」でヒットを飛ばしていたズー・ニー・ブーの歌う「ひとりの悲しみ」です。CMソングが、まったく違うポピュラーソングに再生されたのです。それは、安保で挫折した青年の孤独の歌でした。

 ♪明日が見える今日の終わりに 背のびをしても何も見えない

  なぜかさみしいだけ なぜかむなしいだけ

  こうしてはじまる ひとりの悲しみが

  こころを寄せておいで あたためてあっておいで

  その時二人は何かを見るだろう…

…というものでした。

しかし、この作品はヒットにいたらず、ふたたび埋もれてしまいます。

 

 それでも村上プロデューサーは諦めません。

「絶対にこの曲は当たるはずだ」という執念を燃やし、再度、阿久悠にアタック!

歌詞を書きなおしてもらうべく説得にかかりました。

村上は、丁度その頃プロデュースを手掛けていた尾崎紀世彦に歌わせれば間違いなく当たると阿久悠に訴えます。当初、渋っていた阿久悠もやっと承諾して「また逢う日まで」にリメイクし、テーマも「別れ」としたのでした。

 ♫また逢う日まで逢える時まで 別れのそのわけは話したくない

  なぜかさみしいだけ なぜかむなしいだけ

  たがいに傷つきすべてをなくすから

  ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して

  その時心は何かを話すだろう…

        1971年  阿久悠作詞  筒美京平作曲

 

 それにしても、当時の歌謡界には作品に対する関係者の方々の執念とも言えるような熱意が満ち溢れていたのですね。

後に阿久悠さんはこう述べました。

「いい作品を記憶していて、何度でもトライするようなロマンチシズムが、その頃の音楽界には普通のこととして存在していたのである」と。

 

 ♢1971(昭和46)年のヒット曲

・わたしの城下町 ・知床旅情 ・傷だらけの人生 ・ナオミの夢 ・雨がやんだら 

・よこはま・たそがれ ・空に太陽があるかぎり ・花嫁 ・雨のバラード ・17才 

・雨の御堂筋 ・走れコータロー ・ついてくるかい ・おんなの朝 ・真夏の出来事

など多数。