今日は呼吸・整体指導者コース、つまりスクール2年目、人との関わりを学ぶのオンライン授業でした。
オンラインコースあるの?
ありますので興味あれば呼吸・整体ホームページの問い合わせフォームから問い合わせていただければと思います。
話を戻しますと、指導者コースでは伝え手と受け手に分かれてトレーニングしていくのですが、ここでは単にメソッドを伝える技術だけではなく、その前提となる人と関わる技術も学びます。
基本的に人に何かを伝えるときの根本はそこに相手がいると自分が認識しているかどうかです。それがなければ何も成り立ちません。
これが答えです。
当たり前すぎてくだらないと思うかもしれませんが、そういう方はまず相手がいると認識できていない可能性が高いです。
そんなに簡単なものではありませんので、おそらくたくさん伝える経験をしている人であれば、確かにここは難しいよね、となります。
一つ例えて言うならば、自分が伝えたいことがあるときに夢中になって話しているときに自分の想いのみを感じながら話しても伝わりません。
そういうことです。
自分の想いが強ければ強いほどに、そこに相手がいると認識できないと、ただの独りよがりです。
とても多いです。
これは自分が聴く側に立つときも同じで、聴いている自分を感じてしまっているとうまくいきません。
また、相手の言葉を理解しようとするというのも、それは大切なことですが、うまくいかない場合は相手を認識しているつもりでもその言葉を理解しようとしている自分をメインで認識していることも多いです。
真実を一つ言えば、
話を聞いてくれているのに話を聞いてもらっている感じがしない人と大して聞いてもいないのに話を聞いてもらっている感じがする人の違いです。
話の内容を理解することも極めて大切ですが、コミュニケーションは根本は相手の存在への無条件の認識です。
小手先のテクニックのみに走る人間が薄っぺらく、そういったテクニックを学んでいなくてもコミュニケーションがしっかりとれる人との決定的な違いです。
ここは如実に看破されるところです。
というところを観念的ではなく技術的に学ぶのですが、鍼灸や対人に関わる仕事をしている人達とそれを共有すると、できてなかった、一からやり直しです。と口々に言います。
たくさんの患者さん達から信頼されている、結果を出している先生でも、です。
まずは相手の存在を無条件で認識するということをするとうまくいきやすくなりますのでそこを考えてみるとよいと思います。
ちなみに以下は余談ですが、私がなぜその事に気づいたのかと言えば、言葉を発さない、自分で動けない、知的障がいありの重度脳性麻痺の子供達のケアの中でです。
言語コミュニケーションが取れない中で見出したところです。
彼らはそこに極めて敏感です。
存在としての無条件の認識がないと身体をこわばらせ、緊張を解いてくれません。優しい声をかけても、ニコニコしていても無駄でそういうものの嘘は見抜かれます。
しかも、施術の中でたった一回それをしてしまえばその回はもうおしまいです。
そういう状況下の中で15年間毎日のように鍛えられました。
当時はかなりしんどかったですが今思えば本当にありがたい機会でした。
これは同じように自分の身体に対してもそうです。
存在としての自分を無条件に認識できないと自分の身体との関わりがうまくいきにくくなります。わかりやすく言えば不調になりやすくなります。
対自己も対他者も根本は同じだということです。
そういえば治療する者は養生に精通しているのが本義のはずですが職業治療家が随分と多いですね。
職業としてするならよいですが、医の道に生きる者としてはどうかと個人的に思います。
少し辛辣でした。