呼吸・整体の学びにはある特徴があります。
それは例えて言うならば、新しい言葉を得るのではなく、知っている言葉の意味が更新されていく学びです。
視点を変えれば、新しい手法を得るのではなく、その手法の意味を深めていき、深めた先の根底で他の手法と繋がっていることに気づく学びです。
これは私自身が自分の学びの中でずっと感じてきたことです。
これもやはり活法が大きい。活法というよりもそれを教えてくれた先生の存在が大きいです。
ここは人ですね。
こういう類の学びは誤解されたり恨まれたりすることと紙一重です。
わかった気にさせない学びかもしれません。
それなりのリスクを背負わないと提供できない学びです。だからこそこのスタイルを貫く人は稀です。
おそらく先生もそうやって学んできたと思うからこそ、それは恩返しとして次世代に繋いでいくということをしたいと思っていますし、現にやっています。
足を向けて寝れないまではいきませんが、いつも心の中で感謝しています。
この心は一般講座であるトータルコンディショニングウィークにも波及しています。
新しいものではなく、今あるものの意味が更新されていく学びの意味と価値は確実に共有されています。
更新されていく中で自分との関わり、他者との関わりもいい形で更新されていく。
スクールでの学びはその最も本格的なものです。
一つ面白いのは、意味が更新されていけばいくほどに言葉が当たり前で普通の言葉になっていく傾向があります。
相手をよくみることです、とか、自然にね、とかです。
偉大な先生達のその言葉もおそらく意味が更新されてきた結果だと思います。その反面、どうとでもとれるので後進が混乱しますが、それも自分で考える機会を与えてくれたのだと私は思うことにしています。
意味を更新されれば無駄が省かれ、身軽になる。
意味を増やし過ぎるとそれは贅肉となり、動きにくくなる。
私の学びに対しての根っこにあることです。