友人、知人、親友、親しくなるほど値下げしてしまうのが人情かもしれません。

 

 親しくなるほどに値下げしてはならないという意見もあります。(親しくても親しくなくても)

 

 例えば、6000円のセッションを特別価格の4000円で受けるとします。

 

 内容や時間は他の人と同じ。

 

 それは単純に考えれば2000円の損失になります。例えば、特別価格に連鎖が起きてしまえば、数が増えるほどに損失は大きくなるという考え方も成り立ちます。

 

 また、親しいほどに応援という意味、またその方を尊重するために、値下げを受けてしまえば相手の価値を損なうことになるので、あえて定価で受けるという考え方もあります。粋とまでは言えませんが、真っ当なご意見です。

 

 値引きする側としては、やはりこうやってきてくれる事がありがたいことで、何とか報いたいと思いもあるでしょうし、その気持ちを表す手段として値引きするのかもしれません。

 

 また、金銭的に余裕がないけれど、真剣に身体を治したいと思っている方を、これがルールと切り捨てることがどうしてもできない、そんな方もいるかもしれません。

 

 このように、値下げを是とする理由は探せばいくらでも見つかります。

 

 値下げを否とする理由も探せばいくらでも見つかります。

 

 その理由に対しての反論も見つかります。

 

 つまり、考えようによってどうとでも自分の都合のいいようになることが多いということです。

 

 ということで、私自身の見解は「どちらもいい」です。

 

 少し広い目で見れば、それをするという「体験」があなたの人生の中で、あなたの貴重な時間をかけてまでする必要な体験か否かです。

 

 もっと言えば、大切なところは、その理由ではなく、理由を探している自分自身です。

 

 もっと言えば、その理由を探す自分を生み出している世界観(わかりやすく言えば無意識的な前提)です。

 

 それを的確に把握するために必要な事を具体的に挙げれば、

 

 日常的な自己修養です。

 

 ヨガでもいい、座禅でもいい、瞑想でもいい、あなたの中に「静」を作り出すと一時の感情ではなく、邪な期待でもなく、自分にとって必要な体験であるかどうかを把握できるところに繋がります。

 

 それを人の力を借りて知るのもよいですが、自分自身のスキルとして修得しておけばもたらされる恩恵は計り知れません。

 

 最後に、私は呼吸をお伝えする立場ですが、よく言う問いかけがあります。これを真剣に受け取って、とある難病を緩解にもっていった方もいます。

 

「その行為は息を止めてまでする価値のある、必要である行為なのでしょうか?」

 

 少し詳しく言えば、その行為は、あなたの息を止めて、心身共に不快を感じるに値するくらい大切なことでしょうか?という事です。