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 漸く戦争が終り、《ブギウギ》第16週で山下マネージャーに説得されて喜劇王タナケンの演劇に、演技は素人同然の福来スズ子が出演することになりました。

 

 この時代の笠置シヅ子さんの実際の歌唱を4曲見聞きすることが出来る動画がYouTubeに上げられています。

 動画冒頭の《ラッパと娘》に続いて2曲目の《ヘイヘイブギ》が始まると、

 

「舞台は廻るより」

 

というテロップが表示されます。《ブギウギ》第16週でタナケンと福来スズ子は《舞台よビックリマーク踊れビックリマークという芝居に取り組んでいるので、

「タナケンが作っていた芝居はこれなのかびっくりビックリマーク

 

と一瞬思ったのですが、1月16日付Real Soundによると、

 

「1948年には笠置が主演した映画『舞台は廻る』が公開されている。けれどもこちらは作家・久生十蘭によるもので、服部は音楽家として参加しているが、エノケンは出演していない。」

 

のだそうで、1946年にエノケンと笠置シヅ子さんが初共演した《舞台は廻る》は《エール》で北村有起哉さんが演じた池田二郎のモデルになった菊田一夫さんの脚本なのだそうです。

 上掲1月19日付プレジデントオンラインの記事によると、笠置シヅ子さんの自叙伝《歌う自画像:私のブギウギ傳記》には服部良一先生とともにエノケンも寄稿しているそうで、

 

「今まで私がつき合った女優さんや歌手の多くは、女優らしさという、ある気どりを持って舞台へ立つので、どうも嘘の姿になって、こっちとしっくり合わない。ところが笠置君はそうではない。生一本でぶつかってくる。だから私も生一本で取り組むことが出来る。」


「私にとっていちばんつき合いよい女優さんといえば、日本中で彼女をおいて他にない。」

 

というのがエノケンが笠置シヅ子を気に入った理由だったそうです。

 

 この記事はエノケンの生い立ちや晩年を襲った悲劇についても紹介していますから、タナケンを通じてエノケンに興味を持った方はご一読ください。

 

 因みに、戦後、様々な舞台を作った菊田一夫さんが東宝の専務取締役だった1966年に《風と共に去りぬ》を舞台化しようとして計画したのが帝国劇場の建替えだったことを《美の巨人たち》で知りました。

 燃え盛るアトランタからの脱出シーンは、円谷英二監督がミニチュアを作って特撮したものを舞台背景に映写したものだったそうです。

 ところで、話をエノケンに戻すと、リアルなエノケンも勿論記憶していますが、テレビっ子だったわたしが最も親しんだエノケンの歌と言えば勿論《渡辺のジュースの素》ですよ。

 《渡辺のジュースの素》を見たことが無いと仰る方は2023年1月15日付Smart FLASHのこちらの記事上矢印をご参照ください。

 一方、笠置シヅ子さんのCMは近畿広域圏では放送していなかったのですが、1980年代に笠置シヅ子がマッハ文朱さんらと共演したカネヨンのCMがこちら上矢印。映画に残されている笠置シヅ子の顔芸をこれらのCMでも見ることが出来ました。

 

 因みに、上掲Smart FLASHの記事が紹介していた渡辺製菓の《即席ぜんざい》という言葉を目にして思い出したのが、

 

「ノ~ザ~キ~ビックリマーク 即席カレー~」

 

と男性が叫ぶCM。

 

 現在のレトルトカレーの元祖である大塚食品《ボンカレー》の研究開発が開始されたのが1964(昭和39)年、苦心惨憺の末にアルミパウチレトルトに辿り着いて漸く全国発売されたのが1969(昭和44)年ですから、1960年代を通じてレトルトカレーはほぼ存在していません。したがって、《即席カレー》という言葉は、専らカレールウを意味していたと思うのですが、ノザキ即席カレーは缶入りのカレーで、叫ぶ男性も山登りの途中でカレーを食べようとして叫ぶのではなかったでしょうかはてなマーク

 

 探してみたのですが、動画は元より、ノザキ即席カレーすらヒットしません。