ドラッカーの『わが軌跡』(舊題は『傍觀者の時代』)を讀むでゐて、經濟人類學者のカール・ポランニー(ハンガリー人なので本當の名前はポラアニ・カルロイ)の話が出て來た。以下、引用する。


> 六人のポランニー親子に共通してゐたのは、奴隸制に代はりうるものは市場だけであるとする十九世紀マンチェスター學派のレッセフェール(自由放任主義)は、間違ひでなければならないとする信念だつた。


ポラアニ・カルロイはかうした信念のもとにアフリカのダホメやギリシャのアテネなどの古代の非市場社會を研究した。だが、比較的安定した非市場社會は全て奴隷制度に依存してゐる事を確認しただけだつた。


日本は、市場経済が肥大化する江戸時代以前の非市場社會の時代から、奴隷制度に依存しない安定した社會だつた。國史(日本史)に奴隸制度の時代があつたかどうかも疑はしい。


日本語の奴(やつこ)といふ言葉の語源は「家(や)つ子」である。家の子郎党といふ意味の言葉だ。歐羅巴で王樣の家來が必ずしも奴隸ではないやうに、家の子郎党は奴隸ではない。


從つて、マンチェスター學派の主張は明白な誤である。日本と云ふ反例が存在する。だが、かうした型の非市場經濟は、矢張世界的には例外なのである。


世界的には、安定した非市場社會はほとんどが奴隸制度によつて支へられてゐる。だから黒人國歌のダホメは自主的に黒人を捕まへて、白人やアラブ商人に賣り捌いた。


日本に奴隸制が根づかなかつたのは、稻作の生産性の高さが原因とされてゐる。奴隷労働は生産性が低く、小作に土地を貸してカスリを取つたほうが收益が大きいのだ。


ポラアニ・カルロイが『大轉換』で主張したやうに、市場經濟が非市場經濟に回歸する事はないであらう。だがカルロイが嘆いたやうに市場氣候はがさつな秩序であり、人間を今後も疎外しつづける。


さうした事を考へると、非市場社會時代の國史は重要な世界の財産なのかもしれない。


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