うちの教室の一番の人気者、マトリョーシカ人形です。

$中学受験・ダメ母プロ講師のひとりごと




私の母が、ロシアに旅行に行ったときにお土産に買ってきてくれました。

本当は、一番大きい人形がもう一体あったのですが、この度の地震で……。


学年を問わず、子どもたちはこのマトリョーシカに、すごく興味を持ちます。

まだ出てくる、まだ出てくる…!


そんなわくわく感がたまらないのでしょう。

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一番小さいのが出てくると、みんな笑います。



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こんなに小さいです。


何度も開けたり、入れ直したり、


上半身だけ並べてみたり…。


なかには、頭を下にしてコマのように回す子もいます。

ヘッドスピンです。

これは、「ハゲるとかわいそうだから、やめてね」と言っていますが…


5年生の男の子は、

「小さくなるにつれて、顔が本物っぽくなっていくね」

などとコメントしてくれます。


なるほど、そう言われてみると、装飾が簡単になっていくので、
ノーメークのお顔になっていくようです。


そもそもこのマトリョーシカ、「複文」の説明のために教室に持ってきました。


文全体の主語が大きい人形の上半部、述語が下半分。

その中に、さらに主語と述語があって…というのは、ひとまわり小さい人形で表します。



ラックの上に置いておいたら、みんな最初は遠慮がちに、だんだん大胆にいじるようになりました。



ゲーム機が当たり前のデジタル世代の子どもたちが
こんなアナログなおもちゃに夢中になるなんて…!


熱心にマトリョーシカを「探求」している子どもたちを見ていると
この集中力こそが子どもの宝物なのだと痛感します。


何かに夢中になれる、夢中で探求する。

それも楽しそうに……!


子どもの持っている、この素晴らしい力を、
過剰なまでの机上のお勉強で損なってはいないかどうか…?


机上の勉強、作業的な学習も絶対に必要です。

低学年でも、です。


ただし、それはほどほどの量にとどめておくべきなのです。


五感を働かせ、ひとつのものに飽かず興味を持つ…


そんな黄金の時間を損なってまで問題集をやる意味など、どこにもないと私は思っています。


マトリョーシカの木の触感、
木のにおい、
手作りなられはの、微妙なかみ合わせのズレ(上と下がぴったり合わないものもあります)、
絵柄の色彩、
人形の表情……


そうしたものは、デジタルな遊具にはないものだと思います。


もちろん、デジタルな遊具を否定するわけではありません。


でも、

机に向かって黙々とプリントをこなし、

終わったらゲームをやっていいわよ、
マンガを読んでいいわよ、
テレビを観ていいわよ



……こんな毎日を過ごすとしたら、
子どもたちは黄金の能力を使うことなく、
オトナになってしまうのではないかしら…




ある、カリスマの先生と話をしていたとき、こんな言葉が出てきました。

「教育はアナログものだよ。電子黒板もあるけれど、やっぱり黒板とチョークでしょう。スカイプ、ネット、映像コンテンツ…いろいろあるけれど、やっぱり生身の人間が向き合ってこそ。本当に大事な話をするのに、あなたはスカイプで伝えきれると思いますか?」



子どもを育てるものは、アナログなもの。



マトリョーシカが、こんなにも子どもたちの興味を引いたのは、当然のことだったのかもしれません。