先日、漢字書き取り100題を15分でやりました。予想通り、処理の早かったお子さんほど好成績でした。言葉の知識が確かで語句に対する感度が高いからでしょう。90点以上とれていれば、漢字については心配ありません。80点以上を合格としましたが、75点を切るようだと上位校の受験生としては要注意です。

実は、毎年この75点を切るレッドゾーンに入るのが、某有名国立小学校の児童です。算数や国語の時間を削ってでも「総合学習」に費やすという教育方針のもと、学校でていねいに漢字の学習をさせている形跡がまったく見られません。聞いた話だと、「総合学習」を推進させていった中心メンバーがいらっしゃるとか。

この国立小の児童は、まちがえかたもかなりとんちんかんで、当然書けているであろう3、4年レベルの漢字が定着していません。彼女たちの普段の学力の高さを考えると、こんなことはありえないのです。もっともっとできていいはずなのです。学校での「読み」「書き」「そろばん(計算)」教育の大切さをあらためて感じます。

さて、お子さんのまちがえで目立つのが「同音異義語」です。たとえば、「真理をツイキュウする」を「追求」「追及」と書いてしまうお子さんがほとんどです。「究」の字そのものがもつ意味をよく覚えていないからでしょう。

また「選手のゴールにカンセイをあげる。」を「観声」とまちがえるお子さんも多いです。「観」「歓」は似ていますが、左側が音、右側が意味を表していることに注目します。「歓」の「欠」は「口を大きく開いた人」を表すそうで、口に関係する言葉「飲」「歌」「吹」についています。こんなことがわかっていれば、「声」を出すのは「目」でなく「口」なのですから、「観」と書くことなどありえないはずです。

漢字をただ「図形」として教えるのではなく、「意味を持つパーツの集合体」であることを、低学年のうちに教えることがとても大事だと思います。一度そういう見方が身に付けば 、あとは放っておいても、新しい字を学ぶたびに自然にそういう見方をするようになります。

よく低学年の用の教材に、「立」「木」「見」などがばらばらになって示され、「なんという漢字ができるでしょう?」というパズル的な問題が見受けられます。これは全くナンセンスで、こんなものに時間を費やすくらいなら外で遊ぶ方がよほどいいと思います。

「親」の左側が「シン」という音をあらわすから「新」も「シン」と読むんだよ、お母さんは子どもと一緒にくらしていて子どものことを見ているから、「見」を使うんだね、と教える方がお子さんの漢字に対する感覚を育てるにははるかに有効だと思います。

ただの図形として機械的に詰め込んだ漢字と、意味や成り立ちも理解して記憶した漢字とどちらの方が定着がいいか明らかです。

塾の授業ではなかなか漢字をじっくり教える時間を取れないのですが、テストを返却するときなどにちょこちょことこうした知識を伝えるようにしています。漢字も楽しんで学んでくれればいいな、と思うのですが…。