グルっぽを作成しました。
「国語指導」という名称です。
国語(日本語)についてなら、なんでも語り合っていきたいと思います。
お陰様でたくさんの方にご参加いただいています。
関心のある方は、どうぞご参加お待ちしております。


先週の土曜日に行われましたセミナー「第四回童謡唱歌に見る美しい日本語」
遅くなりましたが、当日の模様をご報告させていただきます。
今回は「冬の歌」でした。

今回共同開催ということでコラボしてくださった音楽の先生は河野弥生先生
http://ameblo.jp/yacchan53/

場所は今回はランチつき、カジュアルフレンチボンティガーさん
http://tabelog.com/saitama/A1101/A110102/11025375/

老若男女11名の方がご参加くださいました。
取り上げた順に簡単ではありますが、報告させていただきますね。

1:雪
有名な「雪やこんこ~」で始まる童謡。ただし子どもたちが歌うように「こんこん」という擬態語ではありません。「来む来む(降れ降れ)」または「来む此(ここに降れ)」です。擬人法もあります。、
「綿帽子」は花嫁衣裳の1つで、白無垢と呼ばれ白いもの(雪や雲)のたとえとしてよく使われます。
余談ですが、2番の「犬は喜び庭駆け回り猫は炬燵で丸くなる」は、そうとも限らない、犬も寒いのは苦手、と我が家のペットたちの話で笑っていただきました。
雪


2:冬景色
「夏の歌」の「海(松原遠く)}のところでも紹介したように、冬の叙景歌の典型。文語定型詩。
文語詩なのでまずは口語訳から。(今回、口語訳は割愛します)倒置法と体言止めが多いです。
「狭霧」の「さ」は接頭語。
さて、「小春」ですが、ここで参加者の中に私の生徒がいたのでいつの季語か聞いてみました。
「秋」と答えました。もしもし?今日のテーマは?それから授業中に教えたはず。
もちろん「冬」の季語です。11月はじめの春のように暖かい日、英語ではインディアンサマー。
「かえり咲きの花」には2説ありますが、どちらとしても初冬の小春日和を現す美しい日本語の1つ。3番は漏れ来る灯火がなければ人家がわからないほどの真の闇を歌っています。
この歌は1番2番3番が、それぞれ「水辺の朝」「田園の昼」「里の夕方」を表しますが、それはとりもなおさず「人生」を象徴しているという意見もあります。奥深いですね。


3:雪の降る町を
この曲はラジオドラマの挿入歌として作られたものです。
山形県鶴岡町の冬の叙景といわれ、鶴岡音楽祭では必ずフィナーレで歌われるそうです。
しかし、北海道旭川市も名乗りを上げているとか。他にも似たような光景はありそうですね。
この歌は、反復と体言止めが効果的ですが、それより特徴的なのは途中での転調。
ショパンの幻想曲に似ているという短調の出だしが途中で長調に転調しています。
そのあたりのメロディーに関することは河野先生のご専門、お話いただきました。
最後は「鐘の音(ね)」は「おと」とは読まないことを、枕草子を引き合いにお話しました。



4:もろびとこぞりて
クリスマスによく歌われる賛美歌として有名なこの歌ですが、原題は「たみみなよろこべ」。クリスマスツリー
反復法を使って、主の再来により地上にもたらされる愛と喜びを讃えた歌で、キリスト教徒でないと、その本当の意味は理解できないのだと思います。宗教が理解を左右する例として、数年前にブームになった「ナルニア国物語」に触れました。
この歌も文語体ですから解釈をしましたが、最初の「主は来ませり(主はいらっしゃった)」をうちの娘が幼稚園時代に「主わきませり(主が湧く)」と思い込み、自分の誕生日がクリスマスの直後にあるため「主が湧かなかったら私のお誕生日も来ないじゃない」と言っていた話を披露。そんなかわいらしい時もあったのだ、子どもはランドセルを背負っているうちが親にとっては一番幸せかもしれない、とシミジミしてしまいました。


5:一月一日
お正月の歌としてあまりに有名ですが、「いちがつついたち」でなく「いちがついちじつ」と読むということ、「元旦」とは元日の朝のことで、年賀状に「一月一日元旦」と書くのは誤りなことをまずお話しました。
そして文語定型詩なので、口語訳を。1番の「終わりなき世」は「天皇の御世がいつまでも繁栄し続けるように」という意味であり、それは2番の「君の御影」という言葉からわかると。この歌は明治26年に作られたものでまさに「富国強兵」の時代、さらに作詞者の千家尊福氏は出雲国造から都知事を歴任した方、作曲者の上眞行氏は宮内省楽師であったことも紹介しました。
天皇陛下のご真影を拝む拝賀式というものが昔はどこでも行われていたのです。今も宝塚では行われているという雑学も披露しました。
ちなみに、神戸に「御影」という地名がありますが、これは神功皇后が遠征の時、この地の井戸にお姿を映してお化粧されたという謂れがあるそうです。


6:たき火
NHKラジオで子供向けに流された曲。
「ぴいぷう」という擬声語や「お手手」などという単語と反復から、幼児の高まった感情がよくわかります。子供同士の会話が微笑ましいですね。
作詞者の巽聖歌氏が在住していた中野のケヤキ屋敷の周りの光景だそうです。山茶花と茶の木の生垣が続いていたということで、「生垣」を知らない年代のお子さんがいらしたので、生垣を詠んだ芭蕉の句、「よく見れば なずな花咲く 垣根かな」を紹介しました。
しもやけという言葉は今は死語になりつつありますし、たき火自体が防災上の危険、さらには平成13年に施行された「廃棄物処理法」によってダイオキシン増加を防ぐために禁止されてしまいました。焼き芋を焼いたり、みんなで火にあたっておしゃべりしたりという、冬の風物詩の1つがなくなってしまったことに寂しさを感じますね、と話しました。教材に出てきた、男の子が悪戯してたき火に生栗を投げ込み、それが女の子を失明させてしまった、でも女の子の思いやりで誰にもそれが知られなかったことがわかり後に2人は結婚する、という話も紹介しました。
最後に「山茶花」と「椿」の違いについて、外見上の見分け方とともに、私の高校時代の思い出、尊敬する国語の先生からその違いを教えていただいたこと、(冗談として、受け狙いで)先生が「Tくん(私の旧姓)は山茶花のようなひとだね」と仰ったことを話し、先生のおかげで私の今はある、ここに参加してくれている私の生徒Mさんはその先生の孫弟子にあたる、と締めくくりました。


ここまで、ほとんど1人で話してきて、その間に参加者の皆さま、及び河野先生にはおいしいランチを召し上がっていただきました。ナイフとフォーク
私もおなかが空いて来たので、ちょっと休憩。
その間に、皆さんにはここまでの曲を合唱していただくことにしました。音譜
この合唱が出来ることも、子の会場を選んだことの1つです。
今までの会場は、大きな声を出せなかったので歌が歌えず、セミナーの意図が半減してしまっていました。今回は、肉声であれば大きな声でも構わないということなので、有り難かったです。

さて、休憩の後は、本日の締めくくりに向けて2曲。盛り上がりを予想しての配曲です。

7:冬の夜
雪国の子沢山の家庭の、貧しくとも平和な冬の夜の一家団欒が平易な言葉で歌われています。
2番の「過ぎし戦の」というフレーズは、ひと時好戦的で望ましくないということで「昔の思い出」に変更されていたそうですが、それではその後の「耳を傾け、こぶしを握る」がそぐわなくなってしまいます。ここはやはり元のとおりでよいのでしょう。
今は囲炉裏端で縄をなっている父親は、かつては勇猛な兵士でした。この歌が出来たのは明治45年、1913年ごろのことですから、「過ぎしいくさ」は1904年の日露戦争のことでしょう。昔の男の子は「兵隊さんになって国を守る」ことが当たり前のように推奨されていましたからね。
衣縫う母親は来る春の遊びの楽しさを語ります。これは冬が長く厳しい雪国ならではと思います。雪国の子どもたちの春を待ち望む気持ちを詠んだ詩、丸山薫さんの「白い自由画」と「北の春」を紹介しました。


そして、最後。ここで参加してくださった方々の気持ちをぐっと盛り上げたいという意図がありました。

8:かあさんの歌
これは、作詞者の窪田聡氏が、名門高校を卒業しながら親の期待を裏切って出奔、歌声運動などに身を投じていた時に、ふるさとの母親から兄を通じて送られてきた小包への感慨に、長野へ疎開していた時の想い出をあわせて作られたものといわれています。
「夜なべ」には諸説あり増すが、いずれも昼間の仕事を終えた後の夜業、内職を意味します。
かあさんは、栄養不良もあってあかぎれができ、そこに当時の民間療法である生味噌をすり込んで治療しています。薬は高価で買えなかったのでしょうね。
真ん中の二行は1番も2番も3番も母の手紙の言葉であると思われます。

昔のお母さんは本当に大変でした。今と違って子沢山だし、電化製品はないし。
たいてい末子が一人前になる頃には、小さくなって死んでしまったのです。余生の楽しみなどしらないままに。
ここで石川啄木の短歌を。「たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩歩まず」 昔の、こういうお母さんお父さんたちが今の日本の繁栄を作ったことを忘れてはならないと思います。

自分たちは無学だが子どもにだけは学をつけたいと、必死で働き苦労していい学校に入れることができた。あとは大学に進んで、将来が楽しみであると思っていたのに、大学の費用をもって家出してしまった。どんなに落胆したことでしょう。
無学な親が苦労して子どもを一人前にする話は、昨年末の紅白歌合戦で話題を独り占めにした美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」にも通じますね。この歌の紹介もしました。
それでも、そんな勝手な生き方をおとう(父親)は黙認してくれたのです。
親は、私もそうですが、子どもが幸せであれば自分はどうでもいいのです。近来はそうでない自己中心的な親も増えていますが、大多数の親は今でも「子どもが自分らしく生きてくれればそれでいい」と思っているはずです。
そして、そういう親の愛に守られて、子どもたちは大きくなったのだという感謝の心を忘れてはいけないということを、この歌は教え続けてくれるのではないでしょうか?


今回、親子で参加してくださる方々がいらっしゃるのは知っていました。
ですから、ある意味「狙った」のです。感動の盛り上がりを。
狙い通り、お母様もお子様も泣いてくださいました。
でも・・・私自身も語りながら感極まってしまいました。
だって、私も娘であり、また母でもあるのですから。

最後は2曲を皆さんでシミジミと合唱し、お1人お1人の感想を伺ってお開きとなりました。
少人数ですが大変満足のいくセミナーでした。
参加してくださった皆様、ありがとうございました。
また、このブログをお読みくださった方、改めてお母様(お父様も)への感謝を思い出していただけたら幸いです。

これで春夏秋冬が一巡しましたが、「春の歌」は昨年土浦で開催いたしましたので、
改めて浦和でも行いたいと思っております。
5月か6月に、またランチセミナーという形をとる予定でおりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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