昨日に引き続いて、今日も国語の文法のお話をいたします。

日本語の乱れの象徴のように言われて久しい、ら抜き言葉ですが、
なぜこれは間違いなのか文法的に説明できる方ばかりではないのではないでしょうか?

今日は、文法的に「ら抜き言葉」が間違っている理由を説明したいと思います。
お子さんに尋ねられたときなどのご参考にしていただければ幸いです。
ただし、学校では中学2年生以降に習う用語を使っておりますので、小学生さんには難しいかもしれません。
小学生のお子さんに説明したいという方は、個別にお問合せいただけましたら、
学年にあわせての説明をアドバイスさせていただきます。

ら抜き言葉」が誤りである根拠は、大きく分けて二つあります。
まず1つは、1単語と考える場合です。
「走れる」「守れる」が正しく、「見れる」「来れる」「食べれる」が間違っているのはなぜでしょう?
これは可能動詞のためです。
「走れる」は「走ることができる」の意味で、元の動詞は「走る」、
「守れる」は同じく「守ることができる」で、「守る」からきています。
「走る」も「守る」も五段活用をする動詞(ア段からオ段まで五段すべてに活用する)で、
実は可能動詞は五段活用からしか作れないという決まりがあるのです。
「見る」は上一段活用(イ段にだけ活用する)、「来る」はカ行変格活用、「食べる」は下一段活用(エ段にだけ活用する)ですので、可能動詞は作れません。
よって、「見れる」「来れる」「食べれる」という言い方は、文法上の誤りです。

次に、2単語と考える場合。これは動詞に可能を表す助動詞がつく場合ですね。
可能の助動詞には「れる」と「られる」があります。
そしてそれぞれ、つく動詞の活用の種類が決まっているのです。
れる」は五段活用とサ行変格活用(「する」と「~する」)に、
られる」は上一段活用、下一段活用、カ行変格活用の動詞につく、という決まりがあるのです。
そのため、「見る」「来る」「食べる」には「れる」でなく「られる」がつき、
それぞれ「見られる」「来られる」「食べられる」にならなければいけないということです。

このような、文法上の決まりがあるにもかかわらず、なぜ「ら抜き言葉」が横行するのか、
ら抜き言葉」を認めるべきだとする派の主張の根拠はどんなことか
そして、その根拠を論破するための論拠については、明日のブログで説明させていただきますね。

国語の先生のブログでした。
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