1月の心境を今頃に


無料配布の食べ物に並ぶ、という新聞記事が出ていた


私も近くなら並んでいたかも、、の都会生活(ただし都下)

 

若さゆえか性格か


都会からローカル実家に帰る事は絶対にしたくなかった


選択肢ナシ




とんでもない

人生終わり、と思ってた、

と今ならわかる、、どうしたって価値観、親の正義?に抗えなさそうな気弱者



親の言うような、いえ母親の理想の結婚(お見合い、釣り合い)なんてとんでもない。

かといって都会でいても非モテの変な私が付き合う人もなく、


正社員でなくても不安もなく


その日暮らしのように

気ままに暮らしていたなぁ


今なら

親(女親)の理想を
押し付けるなっ
だね

母娘論争、、ああ昭和っ

あの頃、友人はお見合いをしていて、、そのエピソードで無邪気に気に入らないながらも笑っていた



昨今であるならば


マッチングアプリで出会いを求め、そのまま都会でいただろう。ずっとひとりでは無理な生活をしていたように思う。


若さか


平気だった。お金はなかったけれど自由はあった。ただ、惜しいことに何の趣味もなかった。



脱出のきっかけは

このままずるずる居てもしようがない、

駅からまたバスに揺られ、家々や、アパートの規則的明かりを見ながらふとそう思った。


幸い、責任ある仕事もしていなかったから


若さ

都会を脱出して北国へ、南国へ

今思えば、よくもよくも


情報もなく、ハローワーク行ったり、お世話になったり


親切な人にも会って。

今はもう居ないだろうなぁ



数年前に検索して電話してみたけれど、一人娘さんだし、固定電話も無くなりつつある時代だし、


心配してくれて

ありがとう◯海さん


娘さんは翠と名付けたと

話していたなぁ





今、ややローカルな


自宅と引っ越す実家の行き来


これはこれで

けっこういいのか

3拠点4拠点生活


住めば都


老後が来たきた


都会で放蕩めいた生活をするのは並大抵ではなくやっぱり、はじき出されたんだと思う。


そう思う

能力も若さも美もないし


ローカルで自由に

意外と良かったかも


さぁ、

また前を向いて


1日1日をすごそう

本が読めたらなぁ

とは思う



何も読めない

余裕綽々、、無論無い




冬場は

知り合いの事務
(得意ではないがアルバイト的に)たまって気忙しく、いつも遊べないけど寒いからいいか、、助かるし、、、事務友達、、ご飯友達、、



私の日々

ぼちぼちブログ書いて
ブログ見て

こんな事考えてたんだ
うまく70になれるかな

せっかくの老後
ローカルなりに庭あって
いつの間にか咲いたり散ったり

気高いね


カッコいい椿

終わる。

そのような老後なんだなぁ 
ちょい予備軍のつもりだけど
やっぱり老後なんだろう
約70だもん

そういえばジプシー(的)に仄かな憧れがあったから、実現してるのか、、と気付く

こんな事も考えたり、つづったり

よき、です