おはようございます💛
昨日はあんなに不安定なお天気だったのに、
今日は快晴
お洗濯が趣味の私は、
本日はチャンス!ということで、大量に干しました
今日は、たまっていたキャンプ用品も一気に天日干し
家族の寝袋・マット・シートを干しました。
また9月に秋キャンプに行きたいな~と思っているので、念のため。
今日は、昨日の「N」の大群はおりませんでした
あー良かった。
さて、今日は「自分の幸せ」を決意したきっかけ、について書きたいと思います。
私は、北海道の恵庭市出身で、高校を卒業し、1年間浪人している間までは北海道で過ごしました。
が、19歳から31歳(だっけ?笑)の間、
つまり青春真っ只中と、メンタルと体調を崩した激務時代、そして結婚(激務と結婚は同時進行)までを、
関東で経験したことになります。
北海道で過ごしていたのは、
親の庇護下にあり、のほほ~ん・と好きなことだけやってきた時代(まあ、今もあまり変わっていませんが)
で、
「現実」に直面したのは全て関東だったわけです。
そこで「人生」を深堀しまくったわけです。
私がどん底に向かっていったプロセスと、そのときの様子については、
また明日以降に書こうと思いますね♡(←誰も読みたくないかも笑)
(今だったら訴えたら勝てるようなハラスメントや、とにかく様々ありすぎましたねえ)
今日は、子どもが生まれる前後あたりから書こうと思います。
「なぜ、私が【幸せ】をキーワードに、教室やカウンセリングセッション・ハーブなどをやっているのか」
それは、学校現場の実情や、自分のどん底経験から、
「幸せ」について、身一つで真剣に考えたからです。
どん底により、人生観がぐらんぐらんと変わり、
夢を叶えてなった教師の仕事も一度思い切って辞め、100万円以上の引っ越し代をかけて住む場所も変えた私は、
北海道に来てからの最初の1年は、本調子ではありませんでした。
でも、
地元で生きていける・親とすぐに会えるという「最大級の安心感」を得ることができたことにより、
だんだん出歩けるようになり、
気持ちも前向きになっていきました。
今の私だけを知っている人には想像ができないと思います。
教壇にたって生徒に前向きな言葉を投げかけ、自分で起業をしてキッズや保護者様と一緒に歩んでいるようになるなんて。
明日以降に書くどん底時代で、健康診断も「E」判定だった私は、
幸運なことに身体の病気は患いませんでしたが、なかなか妊娠も出来ず、流産も経験しました。
「子どもはまだできないの?」「婦人科にはいったの?」
など、なんとはなしに出ているのだろう言葉に傷つきながらも、
いつか子どもが持てたら良いな~と、自分を励ましながら、札幌の町をウォーキングしていました。
不妊で私なんかより苦労されている方は世の中にたくさんいらっしゃるので、
私が今言いたいのは不妊の辛さではなく、
崩れてしまったメンタルと・体調不良と、流産などの経験と、そして
仕事も何もしていない
私には何もない
という空虚感、
日中は夫もいなく、ずっと一人の時間。
「大学院まで出たのに、主婦でいいの?」などの言葉も結構浴びました。
(←こういう人って、主婦のことを何もわかっていない可哀そうな人。私は主婦でありたいし、主婦って幸せの宝庫)
もちろん、今の私なら分かります。
周りに何を言われたって、気にしなきゃいい。
自分を信じたらいいだけって。
でも、メンタルが病気から立ち直ってないから。
日常生活の優先順位などを考えるだけで精一杯。
前向きな思考なんてできないんですよ。
そんなときに、
私は、気持ちを奮い立たせて、PCをカタカタ......
「私の未来の教室は......こんな感じにしたいんだ。生徒さんが笑顔で、英語を楽しく学べて,,,,」
「競争や、強制でやらせない、偏差値のためなんかに勉強をさせたりしない。。。。」
「みんなが英語ができるようになる」
「こんなレッスンの内容で、こんなカードやテキストを使って、、、、」
ここまで考えて、
「でも、場所は?」
「資金は?」
「できないよ。。」「できるわけない。。」
こうして、惨めな気持ちにおおわれて、PCを閉じるわけです。
↑
ここも今の私ならこうはならないんですが、当時はここで止まる。
今これを打ちながら、
今出会えている保護者の方やキッズの顔が浮かんで、涙が出てます。。。(今は健康で元気ですのに。。。)
学校を辞めてくるとき、
生徒達に言ったんですね。
「私は自分の教室を創る!」と。
大好きで大好きでかわいかった生徒達に会えなくなり、大きくなっていた部活も手放して、
出てきた学校の生徒達に。
でも、どうしたら良いのか分からない。
そこで私は、気持ちの調子が良いときだけでも、ノートに教室の企画を書き溜め、
TOEICの勉強と妊活を両立し始めました。
一番メンタルの調子が悪かったときには、
血の海を泳ぐ悪夢を見たり、職場の人が家まで来るんじゃないかと本気で考えたり
自分なんて死んだ方がいい というセリフを夫に言ったこともありました。
今考えたらすごいですが、でもメンタルの病気ってそういうもので、
苦しまれているかたは、たくさんいらっしゃいます。
そんな時期を過ごしながら、妊娠・出産がかない、
赤ちゃんを育てながら、英語の勉強をしていました。
子どもの力って本当にすごくって、
「この子を生かさなきゃ!」と
必死になって、おむつやおっぱいに専念しているうちに、
どんどん「生きる目的」が出来ていき、メンタルも調子が戻っていきました。
「この子のために生きる!」
と。
でも、ずっと、夢半ばに終わった教師生活や書き溜めてきた「教室の夢」にモンモンしているんですね。
可愛い可愛い、ずーーーーっと望んでやっと生まれてくれた子どもが話しかけてくれているのに、
踏み出せていない自分・発信できていない自分の考え・
そういうことをぼーーーーっと考えて、娘を見ているようで見ていない自分がいた、ある日のある瞬間に、
自分に愕然としました。
自分カッコわる!最低!娘がかわいそう!
本当に自分最悪だな って思いました。
その時、肝がすわったのです。
よし!やろう!やってみよう!ちらしを配って誰も来なくてもいいじゃないか!失敗して誰かに笑われたっていいじゃん!
誰かに嫌われたってそれがなに?いちばん大事なのは娘に、「ちゃんと自分を生きてる自分で接することだ!」
って、悟りました。
今なら分かります。
失敗したって誰も笑わないし、誰にも嫌われないし、そもそも人は他人にそこまで興味ないし、
それどころか頑張っていると応援してもらえるし、協力や賛同をしてもらえるし、人はあったかいって。
そこからのことは、また少しずつ書いていこうと思いますが、
その日の悟りを境に、
私は変わっていきました。
大事な大事な子どもや家族のために、
自分の人生を諦めるのをやめようって
夢を諦めるのをやめようって、
自分を生きて、
鎧を着るのをやめて、
思ったことは正直に言って、
裏表も作らずに、
生きよう
と決めたのです。