こんにちは!
リトリーブサイコセラピーという心理セラピーで
人間関係の悩みを解決し
人との関わりが喜びになるためのお手伝い
をしています!
心理セラピスト村田暁世です!


思いのほか長くなっちゃってますw
私のプロフィールコーナー。
今日は第6話をお話していきます^^



私のプロフィールこれまでのお話はこちら



共依存


私は自分と両親が共依存であることを知ります。
共依存というものすら知らなかった私。

共依存とは

他者に必要とされることで
自分の存在意義を見出すこと

よく
愛情の名を借りた支配コントロールといいます。

心理的にも物理的にも
お世話する方
お世話される方

お互いがお互いに依存しあい
一緒にいて辛い、不幸であるにも関わらず
離れられない関係性。


例えば親子関係でのお話で

かわいそうなお母さん
子供はそんなお母さんを放ってはおけません。
大好きな母親の物理的に
特に精神的にお世話をします。

父親は仕事で家庭に無関心
家庭のなかで
自分を慰めてくれる役に立ってくれる味方、いい子。

この子がいないと。。。
私は生きていけない。辛い。
かわいそうでいればこの子はいてくれる。

子供はその母親の思いを汲み取り
お世話がやめられないし
母親の役に立つことで
母親が助かる、自分をみてもらえる…
自分の存在価値を感じられるなど


子供がダメでできないでいることで
ダメであればあるほど
親は生きがいを得られるなど

お互いがかりそめの安心感を得ている状態。
そうして
自分の存在に価値を感じられてる状態。
お互いがお互いに期待し
お互いがお互いを犠牲にし
自分の人生を生きることができません。

そもそもありのままの自分の存在に
価値を感じられていないし
家族や家庭が不安定で安心感がない。
安心安全の基地がない。


共依存の特徴は

・頼まれてもないのに他人の問題に入っていく
・お世話がやめられない、自己犠牲
・自分感じていることと他人が感じていることが
同じと思いがち、境界線があいまい
・人の顔色ばかり気になる、先回りする
・人に頼れない
・依存心が強い
・世界が狭い、妄想しがち、被害者意識が強い
・恋愛すると盲目的
・自分が与えてるものに相手が応えてくれないと嫌
・ノーがいえない、断れない
・何かあった時、自分が悪いからとすぐ思ってしまう
・自分がわからない
・キレやすい
・自己否定が強い
・見捨てられ不安が強い
・必要とされてないと感じると死にたくなる
・あるものがなくなるのが怖い


安心安全がない、安心感がない、
自分という存在が薄く、不安定。
だから確かめたい。

そしてそこには愛着障害が関係しています。




人と人との心の絆を結ぶ能力

小さい頃
母親との関係において、例えば


【親が子供にべったりと過保護過干渉】

・一卵性親子、子供といつも一緒
・できない子でいてほしい
・私のことわかってくれる子

母と子を繋ぐ糸が
切るに切れない太い糸のように
離れて切れたら戻れない感覚

【ネグレクトなどの無関心、無視】

・子供に興味ない
・子供にどう接していいかわからない
・早く子供に大人になってほしい

母親との絆が希薄で
今にも切れそうな細い糸
これ以上離れたら切れてしまいそうな感覚


どちらのパターンにも
そこには愛着の問題があります。
どちらも健全な状態ではありません。

愛着とは人と人との心の絆を結ぶ能力

それは母子の愛着関係が大きな意味を持ちます。

子供が生きていく上で
必要なのは衣食住が満たされていればいいのではなく

・自分の気持ちや行動を共感してもらう
・目を見て、自分に触れてもらう
・夫婦が仲良し、家族が輪になっている

肌感覚で感じるぬくもり
あたたかさで繋がっている
自分を見てくれている
両親が仲良しである
家族が家族を大好きである
家族が繋がっている
どんな時も心の絆は繋がっている
という永遠性の体感覚が必要です。

家族で作るこの家庭の状態が
世界で生きる上での生き方や人間関係に
反映されます。

信頼感
安心感
大切にされてる守られてる感覚
愛する愛されてる感覚


自分は子供として子供らしく
守られているし
何かができてもできなくても
ただここに生きているだけで
ありのままの私で自分はここにいていい
私は愛されてる
という安心感が絶対的な永遠性に繋がります。



安心安全がない状態

しかし
母子の愛着関係が築けていない
家族というものが機能していない
土台はグラつき不安定になります。
安心して、生きていくことができません。

家族という土台が
なくなってしまうかもしれない
居場所がなくなる、それは命の危機

不安で
子供であるにも関わらず
家庭を支えようと
家族を守ろうと親代わりをします。
両親が幸せそうでなければ
幸せになってほしくて自分を犠牲にします。

温かさやぬくもり、優しさ、共感。
そしてそれがないと
人を信頼できないし
人と触れ合う関わるのは怖くなります。

否定や罵倒、ネグレクトやDVなどが
家族の日常であれば
家庭が家族の関わりがベースであるから
人が怖くなって当たり前だし
人と触れ合う関わるということは
コミュニケーションとは
こういうことなのだと感じてしまう。

あたたかく安心安全な家庭であれば
人と関わることに信頼感安心感があるもの。



私の原家族

私の原家族は父母、私の3人暮らし。

私の小さい頃の親との関わりは
あたたかさという肌感覚が
薄いというかわかりませんでした。
わからないことすら
リトリーブに来るまで気づいていなかった。


私の家は「察する」がベース。

家族という同じ世界にいるのに
家の中はみんな「意識」が
別々の世界にいて暮らしてる
みんなそれぞれ距離が遠く
本音で心交わすことが怖く
そこにいるけど、いない。





つづく

まさかの字数オーバー( ;´Д`)のため
次回!私の家族と両親の家族について
お話ししていきますね^^






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9月は9月18日(水曜)の開催となります!

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