全日本フィギュア男子ー姿なき王者の存在感 | 桃象コラム

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音楽(特にピアノ)、演劇鑑賞、料理、旅行、ヨガ、スポーツ観戦(フィギュアスケート、サッカーなど)を心のオアシスに、翻訳を仕事にしていつの間にか四半世紀。まだまだ修行中。

全日本が終わって日本フィギュア界の今年のすべての行事が終わりました。今年はチケット運にとても恵まれて、22日と24日、つまりアイスダンスと男子シングルを現地で観戦することができました。

 

全日本はいつどんな年でも、他の試合とはちがう緊張感があります。今年はもちろん平昌オリンピックへの代表選考会を兼ねています。代表争いにかかわらない選手でも、全日本には様々な選手がそれぞれの地域を代表して出場しています。今回が初出場の選手、今回で引退する選手、怪我や病気による長い離脱から復帰した選手、社会人代表、ジュニア代表。最年少13歳から最年長26歳まで。みんなそれぞれの思いを抱いて氷に上がる。

 

第一滑走から最終滑走まで、すべての選手の演技が素晴らしく、尊い。それぞれのベストスコアを目指して、練習の成果をみせる。よくここで決めた、という演技もあれば、ああ、なぜここで、というミスもあるのは仕方がありません。なにもかも完璧な演技なんて、そうそうあることじゃありません。

 

それでも観客は、全選手に惜しみなく賞賛と励ましの拍手と声援を送る。今回の会場は構造上、バナーを掲示できず殺風景で寂しかったけれど、選手が登場するたびに手持ちの小さいバナーが揺れる光景は温かかった。素晴らしい演技には大きな拍手を、ミスがあったら「がんばれ」の拍手を、それぞれに意味のこもった拍手と声援でした。

 

山本草太くんの復活、無良崇人くんの渾身のファントム、田中刑事くんの進化したフェリーニには特に拍手も歓声も大きかったように思います。スタンドのみなさんは、演技が終わる前から立ちあがりたくてうずうずしている様子がうかがえました。そして正真正銘の総立ち。本当に感動しました。

 

全選手の演技が終わっても、感動する瞬間はまだ残っていました。

 

24日夜10時半、平昌オリンピック代表メンバーが発表されました。ペア、アイスダンス、男子シングルの宇野昌磨くんまで順調に発表されて、男子二人目が注目の的。ここで田中刑事くんの名前が発表されたときに大きな歓声が上がりました。さらに三人目、「羽生結弦」の名前が呼ばれたとき、ものすごい歓声と拍手が起こり、アリーナからスタンドまで色とりどりのバナーが振られました。これはまさに圧巻でした。そして女子の宮原知子、坂本花織の両選手にも大きな拍手が送られました。誰が選ばれるのか微妙だった二人目、坂本さんには特に大きな拍手が送られました。それはまるで、あなたは自分の力で代表を勝ち取ったのだから、誰に気兼ねすることなく堂々と戦っていらっしゃいと送り出さんばかりの。

 

それにしても、羽生さんのバナーと歓声には感動しました。あれはまったく自然発生的なもので、誰かがこうしようと呼び掛けたものではありませんでした。それまで羽生の「は」も結弦の「ゆ」も聞こえてこなかった場内で、みんないろんな選手の応援をしていました。それぞれにいろいろな選手の小さな手持ちバナーを掲げていたその下に、大きな羽生バナーが隠されていたとは。私は4階のスタンド席にいましたが、そこからの眺めは圧巻で、みんなバラバラのバナーがかえって一体感を呼び、そこここで「あら、あなたも?」「はい、実は」みたいな会話がなされていたのではと思います。

 

バナーを準備するぐらいの羽生ファンならば、誰だって羽生さんの演技を見たかったでしょう。羽生さんの欠場を知りながらもチケットを手放さずに観戦に出かけ、全選手に精一杯の拍手と歓声を送っていた。もちろん、チケットを手放した方もたくさんいらっしゃいます。それが悪いわけじゃない。人にはそれぞれ事情というものがあります。特に海外など遠方から遠征される方の場合、やはり今回は…と思われても不思議はありません。一方で、場内には遠征組の羽生ファンの方もたくさんいらっしゃいました。私が個人的に存じ上げている方も、九州、四国、東北からの遠征組です。そこはそれぞれの考え方の違いです。ただ、あの場所にいた羽生さんのファンの方の多くが、たとえ羽生さんが出なくても時間とお金を使って会場に向かい、すべての選手を応援していたことは素晴らしいことです。

 

帰りの電車の中でふと、これはもしかしたら羽生さんがとても望んでいることなんじゃないかなと思いました。羽生結弦という一人の選手をきっかけに、ファン同士のつながりができ、競技と選手へのリスペクトが生まれ、羽生さんがいなくてもすべての選手を応援する人が増える。結局、不在だった羽生さんの存在感が大きいことを実感しました。このような影響力をもつスケーターはほんとうに稀有な存在です。同時代に生きる幸せを感じるというものです。

 

それでもやっぱり、羽生さんのいないリンクは淋しい。ご本人が一番淋しいし悔しいだろうから、今度リンクに帰ってくるその日を心待ちにしています。

 

選手のみなさん、ファンのみなさん、あの空間をご一緒できたみなさま、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。そして来年が輝く日々でありますように。

 

桃象