真央ちゃんは挑戦の象徴 | 桃象コラム

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音楽(特にピアノ)、演劇鑑賞、料理、旅行、ヨガ、スポーツ観戦(フィギュアスケート、サッカーなど)を心のオアシスに、翻訳を仕事にしていつの間にか四半世紀。まだまだ修行中。

日本橋高島屋で開かれている「浅田真央展」に行ってきました。

 

金曜の夕方とあって、場内はかなり混んでいました。ほとんどが女性でしたが、ちらほらと男性の姿も。みなさんとても熱心に展示物に見入っておいでです。

 

飾られている数々の衣装。15歳でグランプリファイナルを制した「くるみ割り人形」。バンクーバーの「仮面舞踏会」と「鐘」。「ノクターン」「スマイル」などなど、本当にたくさん。1着ごとに、それぞれのプログラムが脳内に蘇る。ソチのフリーの衣装は、やはりちょっと物悲しい。赤と黒の「リチュアル・ダンス」の衣装も。このプログラムはもっと見たかった。

 

撮影してよいのは、NHK杯スペシャルエキシビションで滑った「ジュピター」の衣装のみ。このプログラムも美しかった。

 

 

そしてバンクーバーの銀メダルやその他の数々のメダル。傷だらけの2足のスケート靴(リスポート+パターン99でした)。

 

会場では、ビデオも上映されていました。真央ちゃん自身の言葉でいろんな想い出を語る15分。

 

その中で、こんな言葉が印象に残りました。

 

子供の頃、おそらく12歳頃の発言で課題を聞かれて、「スピードが足りないと思うので、スピードを出せるように」

 

「バンクーバーの頃からジャンプが不安定になっていた。終わったら直そうと思っていた」

 

「小さいころからジャンプジャンプばっかりだったので、それがようやく変わったのが復帰してからの2シーズン。少しレベルアップできたかなと思います」

 

これを聞いて、長いこと私の中で引っかかっていた疑問が解けて、ストンと腑に落ちた。真央ちゃんは自分で全部分かっていたんだ。分かっていて、それでも挑戦し続けたんだ。そこで思い出したのが、真央ちゃんの引退に寄せた羽生さんのコメント。「僕にとっては挑戦の象徴。どれだけ難しいスピン、ステップ、ジャンプをやっていても難しさを感じさせないところが素晴らしく、憧れている」というもの。羽生さんも分かっていたんだ。真央ちゃんのひとつひとつの演技が、どれだけの挑戦のうえに成り立っているかを。そしてそのハードルの高さを決して人には見せないことを。羽生さんもまた、稀代の挑戦者。時に周囲と意見がぶつかっても、自分の理想を変えない。そして努力に努力を重ねて、その理想に到達する。その姿を見ている若いスケーターたちも、そして私たちもまた、挑戦することの大切さを学ぶ。先日の24時間テレビで池葉宙くんが、「羽生選手のように、難しいことに挑戦していける選手になりたい」と語ったように。

 

いいな、やっぱりアスリートっていいな。

 

ビデオの最後に、真央ちゃんがこう言っている「引退の会見を終えて外に出たら、桜がぶわ~っと咲いていて、祝福してくれているのかなと思いました」

 

桜も、大勢の人たちも、祝福していますよ。真央ちゃんはもうすぐ27歳。まだまだ若い。可能性は無限にあります。この先、どんな道を歩むにしても、幸せになりますように。真央ちゃん、いままでどうもありがとう。

 

そんなことを思いながら会場を出ました。出たらそこでは東北物産展開催中で、山形の玉こんにゃくを3袋も買ってしまい、おまけに地下で銀座天龍の餃子まで買ってしまった。重い。何にチャレンジしてるんだ、私。

 

今週末からすでにロンバルディア杯とUSインターナショナル・クラシックが始まり、いよいよ五輪シーズンの開幕です。さあ、選手のみなさんの素晴らしいチャレンジ精神を見せていただきましょう。

 

桃象