傾聴というテクニックを『知る』ことで、人間関係に変化をもたらします。


それが、ストレスの軽減を生み出すことに繋がれば、より人生楽しくなりそうですよね。

 

遠く海外で暮らす息子のことが、心配だ…

地方の大学に通うために一人暮らししている娘が、心配だ…


親ですから、心配な気持ちになるのは当然かも知れません。

 

では、その心配事はどうして発生したのでしょうか?

 

きっと、息子や娘からの何らかのメールやラインのやりとりで親として感じた思いが、快か不快の選択をした時、不快の感情を選択したからだと思います。

 

そうです、心配という感情は、自分自身で生み出しているのです。

 

息子や娘が遠距離で暮らしている時は、目配りができません。


目配りができないと、気配りをすることで、何とか子どもの心配事を解決してあげようとしてしまうものです。

 

「こうしたらいいんじゃない」
「普通はこうよ」
「だったらこうしなさいよ」
「それがあたりまえでしょ」
「とりあえずこうしてみなさい」

 

子どものためにと思って、ついこんな言葉を投げかけてしまいたくなるものです。

 

親にあおられる子ども、そう、ニュースで話題になった、「あおり運転」みたいではないでしょうか?

 

そこで、傾聴というテクニックを使ってみると、これがなんと自分のストレスになることか!!!

 

こんなお話しが、今日のまちの保健室でありました。


言いたくもガマン…、これが傾聴することなのかも知れません。

 

言いたくてもガマンするストレスは、もしかしたら、言ってしまったら相手がそれだけのストレスを抱え込むことになるかもと、立場を変換してみてください。

 

そうすれば、自分のエゴで言っているだけ、自分が安心したいから行っている行動だと思えてきませんか?

 

そして、心配するという気持ちを、私は相手に心配りをしていると思ってみてはいかがでしょうか?

 

聴いてもらえる環境は、安心を生み出します。

 

聴いてもらえる人には、信用を生み出します。

 

安心して信用出来る人には、悩みを聴いてもらいたくなるものです。

 

月に2回、その訓練する場所があります!

 

それが、まちの保健室。

お気軽にお越しください。いつでもお待ちしております。

 

人間は無意識に「変化」を恐れるという性質を持っています。


これは、リスクを避け自分を守りたいという心理が、働くからです。

 

今日のまちの保健室では、市から民間に委託された図書館のお話がありました。

 

図書館では、図書分類法に従って、本を並べています。


本に書かれた内容(テーマ、主題)によってグループ分けを行い、 そのグループを順序よく棚に並べ、本を探しやすくするための方法です。

 

多くの図書館は、図書分類法を採用していると思います。


図書館を利用していると、これが「あたりまえ」という観念を持つことでしょう。

 

時代は刻々と変化し、社会教育施設(各会館、美術館、博物館、図書館etc)も、指定業者や民間に委託する所も多くなってきました。

 

そもそも、図書分類法は本を借りる人のためなのか、それとも本を管理する側のためなのか…。

 

図書館を委託された業者は、もっとたくさんの方々に利用していただけるように、サービスの向上も含めて、中身も体質も変えて利用者に喜んでもらおうと努力します。

 

しかし、今までの図書館と本の配列が違ったり、今まで無かったスペースやサービスに戸惑い、クレームを付ける方がリニューアル当初は多くいらしたそうです。

 

このクレームを起こす心理が、変化に恐れた証拠ではないでしょうか?

 

「以前の方が、本を見つけやすかった」(図書館のせいにする)
「これは、図書館ではない」(その人が持つ図書館という固定観念)
「税金をこんなことに使うな」(ストレス発散)

 

現状維持を訴える気持ちは、理解することもできますが、そもそも、変化に弱く、順応できないことを、開示しているようにも感じます。

 

「私は、この変化についていけません…」という感じです。

 

変化についていけないエネルギーを、クレームという形にしてしまいます。

 

クレームをつけたがる人の特徴として、

 

相手に自分を認めてほしい
相手より自分の方が上(正しい)だと思わせたい
相手からサービスを受けたい

 

このような傾向があるように思います。

 

そのエネルギーを変化に対応できるように、「自分磨き」に使った方が、良いと私は感じます。

「自分磨き」を、どこですれば良いのかって…?


それは、 「まちの保健室」 でしょ!

 

仕事で思うような結果を出せない…
仲間から嫌われてしまった…
家族に冷たい対応されてしまった…

 

自分の存在価値がないと思う瞬間は色々な理由があると思いますが、それは「誰からも必要とされていないと感じてしまうとき」です。

自分がこの世に存在してなくてもいいんじゃないか?と思うと、苦しいく辛い気持ちになります。


誰もが持っている4つの「たい」があります。

それは、

認められたい

役に立ちたい

褒められたい

愛されたい

です。

 

この4つの「たい」は、人間の本能かも知れません。

そして、この4つの「たい」が満たされないと、消えてしまいタイになってしまいます。

そんな凹んだときには、自分自身に「まーいーじゃん」と声を掛けられるといいですね!

これが、うまく出来る人は、「生きタイ」になれます。


しかし、なかなかうまく出来ない時は、こんな考え方はどうでしょう。

自分の存在価値は、誰かの役に立つことと考えるのもひとつですが、自分のできることを精一杯やること。

誰かのためではなく、自分を大切にすることができる人ほど、自分の存在価値を認めることができるようになるのではないでしょうか?


「自分を大切にする」ということは、自分の人生に対して前向きに歩んでいく気持ちを持つことだと思います。

ただただ、目の前のことだけを、一生懸命こなす。

ただただ、言われたことを、一生懸命こなす。

ただただ、人の言った用を、一生懸命こなす。

ただただ、無心で、一生懸命こなす。

ただただ…、ただただ…、ただただ夢中にこなすだけ。


そうすると、やがて信用が生まれてきます。

「信用」とは、人の言った用と書きます。

それを、ただただこなすと、人は信用されてきます。

信用を持つことができれば、人間関係が好転していきます。


やがて人生も好転していくことでしょう。


ポイントは、ただただ夢中にこなすだけで大丈夫。

そこで一句。

「努力は夢中には勝てない!」

 

空中ブランコの種目を、サーカスで仕事にしていた人がいました。


この人は、もっと上手くなりたい、技を磨きたい、パフォーマンスを上げたいと思い、空中ブランコの指導者に尋ねました。

 

「どうしたら、もっと上手くなれるのでしょうか?」

 

指導者は、たった一言、彼にこう言いました。

 

「それは人の話を聴くことです」

 

これは、今日のまちの保健室で「こころの教室」という講演会で学んだことをお話ししてくれた内容の一部です。


まちの保健室では、皆さんが経験したこと、学んだことをアウトプットして頂けます。
本当に、ありがたいと思っています。

 

そして、この講演会で学んだことを、いくつかアウトプットしてくれましたので、このブログでも共有したいと思います。

 

カラダとココロは何から出来ている(作られている)のでしょうか?

 

カラダは食べ物で出来ている。(作られている)

タンパク質はカラダの栄養素となり、炭水化物はカラダを動かしてくれます。

 

ココロは、言葉で出来ている。(作られている)

ありがとうは、感謝や思いやりを育みます。
ごめんなさんは、自分の成長を育みます。

 

そして、そして、

 

続きは 「まちの保健室」のブログで!

 

「無知の知」(I know that I know nothing.)は、哲学者ソクラテスの言葉です。

 

これは自分が無知であるということを知っているという時点で、相手より優れていると考えることです。


私は「人生」を、「予行練習がない一発本番の舞台を演じているようなもの」と例えますが、日々どんなことが起こるかわからないという意識を持っていれば、ハプニングも受け入れることができるのではないかと思います。

 

ここでのハプニングとは、良い出来事とも悪い出来事もですが、大概のみなさんは悪い事へのハプニングに意識が行くので、

 

「どうして私だけこうなるの?」
「まさかこんなことになるとは?」
「みんなは普通に生きれてていいな」

 

このような感情になるのではないかと思います。

 

何か問題を抱えた時、そこから抜け出す方法を必死に模索しますが、その際に出てくる思考は自分自身の価値観だったり固定観念だったりするものです。


自分自身が積み上げてきたルールの中から答えを導き出そうとするので、実はあまり名案や秘策が生まれないのです。


そう、自分は「わかっている」という意識がそうさせるのです。

 

自分が「無知である」という意識があれば、悪いハプニングが起きた際に関係する情報を収集すれば良いと思うのです。


情報収集する際に大切なことは、「素直さ」を忘れないことです。


情報を入手しても自分ルールで解釈してしまうと、情報が役に立たなくなる可能があります。

そうならない為にも、思考を柔らかくする訓練をしておくことをお勧めします。

 

同じ出来事を、どう感じ取るか、先の例をこのように変換できると良いかも知れません。

 

「どうして私だけこうなるの?」 → 「私だけの特典!」
「まさかこんなことになるとは?」 → 「これは何か意味があるはずだ!」
「みんなは普通に生きれてていいな」 → 「色々起こる楽しい人生だ!」

 

いかがでしょうか?


自分の意識に「無知の知」を教え込んでおくことで、ハプニングを乗り越えるヒントが見つかるかも知れません。


バカと天才は紙一重と言いますが、一番なってはいけないのは「小利口」。

 

「小利口」は、自分が無知であることに気付いていないので、一番厄介です。

 

「小利口」な人ほど宿題を抱えると、バタバタしているように感じてしまうのは、私だけかな…?

 

みなさんは、「小利口」になってはいませんか?

 

【新しい時代の幕開けに田んぼはじめました!】

https://www.instagram.com/koko_labo/

インスタグラムでほぼほぼ毎日、田んぼの様子をお伝えしていきます。

 

東日本大震災復興支援活動(ライフシンフォニー)を、銀座MiiyaCafeのオーナーと2012年3月に始めました。

そして中魚沼と栄村の両方で生産するお米農家と田んぼを活用した復興支援を協働します。
美味しいお米で幸せな気持ちと笑顔を届けたいと、田んぼの名称を「ハピネスと笑顔の里」と名付けました。

 

インスタグラムでほぼほぼ毎日、田んぼの様子をお伝えしていきます。

https://www.instagram.com/koko_labo/

 

 

世間と同じ表現をするならば、

今日のまちの保健室は平成最後の開催でした。

 

そんな特別な開催日に、遥々お洒落な都会からの初参加者あり、

男性参加者が女性参加者を上回り、「やっぱり自分がどうしたいか…ですよねぇ~」と、

何故か皆さんの宿題に当てはまるキーワードで繋がっていたり、

驚き有り涙ありの学び場となりました。

 

さて、平成最後の日がわかっているから色々なイベントや振り返りができますが、

後悔しないように人生をどう生きるかを考えさせてくれる

ノーマ・コーネット・マレックさんの(アメリカ/1940-2004)の素敵な詩

「最後だとわかっていたなら(Tomorrow Never Comes)」をご紹介したいと思います。

 

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

 

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

 

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

 

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど


最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と

わたしは 伝えただろう

 

たしかにいつも明日はやってくる


でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら


わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

 

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを


愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

 

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず


もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

 

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと


忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

 

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう


そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

 

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
 
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

 

平成最後の日だから…ではなくて、いつも感謝の気持ちを持つことなのかも知れませんね。


みなさんにとって素敵な“時代越し”になりますように♡

 

あなたは、数学のテストが85点でした。


一人目のあなたは、「100点が取れなかった」と悔しがります。
(検証1)それは、100点が取れる自信があったからです。


二人目のあなたは、85点が取れて大喜びです。
(検証2)予習復習をして臨んだテストの結果に大満足した。


三人目のあなたは、85点なんて特にスゴイことではないと言います。
(検証3)周りからよくやった!スゴイじゃん!と言われても、大したことはない言います。


さて、あなたは、何人目のあなたに当てはまりますか?

 

今日は、フッサールの現象学的還元のお話をしました。
簡単に説明すると、意識が先か、現象が先かという次元でいえば、意識が先だということです。
フッサールは、「それは意識の思い込みにすぎない」と断言します。

私は、「自分のオンタイムは、自分でコントロールしている」と伝えています。


テストの点数が85点という結果、要するに現象は同じなのに、3通りのあなたを例に出しました。

3通りのあなたの意識がどこにあるかを確認するには、

 

つづきは、

まちの保健室

のブログで!

 

 

「看板に今日の日付書いてあるし、写真撮りましょう!」

 

その流れで、いつもまちの保健室の部屋の入口に立てかけている看板と一緒に、私は撮影の被写体となりました。

みんなスマートホンを私に向けています。

 

私はみんなのスマートホンに応えようとして、目線を動かします。

 

「あれ、何だか、まちの保健室が今日で終わっちゃうみたいじゃないですか…(笑)」


まちの保健室が終了して、机の配置を戻していた時の出来事でした。

 

「この場所での最後の片付けだね…」などと私が発してしまった言葉が、撮影会に発展してしまいました。


みなさんが宿題をはき出してしくれた場所が、今回で最後ということで記念写真という意味合いから、このような流れになったのですが、今日はこんなお話をさせていただきました。


「言葉って癒しになるときもあれば、武器にもなる」

 

私は、研修や講演会などでいつも心掛けていることがあります。

 

それは、話術のテクニックでもなければ、イイことを伝えようとすることでもなく、何か気づいてもらえたらという気持ちを持って、、、

 

 

続きは、まちの保健室のブログで!

配偶者の悩みを持つ交流会に参加して感じたこと。
食品の賞味期限から感じたこと。
就職をする練習だと思って頑張りすぎで感じたこと。

色々と感じたことが、本日もまちの保健室でシェアされました。

 

そして、

自分はどうだろう…。

どの話も、考えさせられるな…。

そうか、そういう気づきがあったんだな…。

いやぁ、全ての話が今の私に必要だった気がするな…。

とその場で感じていたと思います。


みなさん、自分と向き合っているんですよね。

同じ空間に居て、同じ時間を過ごしているけど、個々に自分と向き合っているんですよね。


同じところに居るのに、みんな思考がバラバラに働き(自分と向き合い)、でも、みんなの思いが共有できている。

どうしてこんなことが「まちの保健室」で可能なのでしょうか?

 

その答えは、 まちの保健室 のブログで!