メインブログでアップしましたが、メインブログとはほんの少しだけ内容を変えてご紹介します。

 

エジプト考古学博物館に展示されている第3中間期第21王朝のアモン大神官(大祭司、大司祭)ファミリーの棺。
今回はイセトエムケブDをご紹介します。

 

右側がイセトエムケブDで、左側は第19王朝のセティ1世のもの。

何で時代が違うのに隣同士に並んでいるの?って思ったのですが、セティ1世の棺は何度か再埋葬されていて、最後に埋葬されたのは通称デルエルバハリのロイヤル・カシェ(DB320)と呼ばれる場所に、イセトエムケブDなどと共に再埋葬されていたからの様です。

(ちなみに資料に拠ると、セティ1世の最後の再埋葬の時期は第21王朝のイセトエムケブDの姪で義理の娘にあたるネシタネベトイシェルの夫である、ジェドプタハイフエフアンクが埋葬された頃(第22王朝のシェションク(=ショシェンク)1世の時代)だったそうです。

参考資料:The Theban Royal Mummy Project

 

セティ1世やラムセス2世、そしてアモン大神官ファミリーのミイラ&棺が隠されていたロイヤル・カシェについては、アメ友さんのBastetさんが詳しく記事を書かれていますので、是非合わせてご覧ください。

bastetさんのブログ記事:偉大なる王たちのミイラの隠し場所(DB320)

 

※第21王朝のアモン大神官のファミリーツリー(の一部)
(棺のお顔部分の写真はヘヌウトタウイC以外は、エジプト考古学博物館に収蔵されているものを撮影したものです。※ジェドプタハイウエフアンクを追加しました。※ヘヌウトタウイCの画像はMallowさんからお借りしたものです。 )

 

イセトエムケブDはメンケプルラーとイセトエムケブCの娘で、兄弟であるパネジェム2世と婚姻した女性。

 

イセトエムケブは夫パネジェム2世との間に、プスセンネス2世、ヘヌウトタウイD、ヘルウエベンケトの3人の子供をもうけました。

イセトエムケブDのタイトルは”Chief of the Harem of Amun-Re"(アモンラーのハーレムの女性の長) 

 

DB320(TT320)のロイヤルカシェで発見されたイセトエムケブDの棺と布に包まれたミイラの画像
画像はこちらからお借りしました。

 

そしてイセトエムケブDのシャブティを収納していた箱の画像。

左側1番下の部分がイセトエムケブの名前ですが、イセト(=イシス)エムまでは読めましたが、その下のケブの部分のヒエログリフはビトと読み方は分からないのですがM15の文字があり、これでケブとも読むの?

・・・と思って画像参照元の記事を読んでいたら、やっぱりイセトエムケブと書いてあるのではなく、Asetemakhbit(イセトエムアクビト)と書いてあり、意味はイセトエムケブと同じと書いてありました。

イセトエムケブのヒエログリフってどんなんだろう? 

Isetemekhebだったらこんな感じ?
(適当に書いたので下手くそですみません。)
 
最初、エムは下のふくろうの方かなと思ったのですが、シャブティボックスでは上の方でしたね。

でもやっぱり気になるのでネットで調べたのですが
ヒットしたのはこれ。
↓  ↓  ↓ 
※画像はこちらからお借りしました。
あら、シャブティボックスのと同じですね。
  
ちなみにイセトエムケブと言う名前の女性は21王朝に6人、22王朝に1人、25と26に1人ずついます。
・イセトエムケブA・・・アモン・ラーのハーレムの長、パネジェム1世の妃
・イセトエムケブB・・・ミンのハーレムの長、(恐らく)マサハルタの娘
・イセトエムケブC・・・アモン・ラーのハーレムの第一長、メンケプルラーの妃でプスセンネス1世の娘
・イセトエムケブD・・・アモン・ラーのハーレムの長、メンケプルラーの娘で、パネジェム2世の妃
・イセトエムケブE・・・ヘヌウトタウイCの娘
ここまでは21王朝で、Eの次はFかと思ったらGだった。。。

・イセトエムケブG・・・オソルコン2世の妃(22王朝)
・イセトエムケブH・・・シャバカ王の娘(25王朝)
・イセトエムケブQ・・・チャネフェルの母でアモンの預言者のタイトルを持つネシタヘルエンムートの妻(21王朝)
・イセトエムケブR・・・ネカウ(ネコ)2世の娘(26王朝)

・・・と、これだけいるそうです。(ウィキペディアを参照しました。)

話が脱線しましたが・・・ 
 
別の箱の画像。
画像はこちらからお借りしました。

左側の行に、イセトエムアクビト(=イセトエムケブ)、サート・メンケプルラー、マア・ケルウ(声正しき物、メンケプルラーの娘、イセトエムアクビト)と書いてあるのですが、参考にしたサイトによると「メンケプルラーの娘」の部分はこういった表記の仕方は通常は見られないそうです。

このシャブティボックスについては、画像参照元に詳しく書いてありますので興味のある方はご覧ください。 
 
イセトエムケブDの兄弟で、夫でもあるパネジェム2世。
とってもイケメンです。
 
どうせなら、夫婦仲良く隣同士で展示してあげて欲しいですねー。 
 
姪で夫の第2夫人にあたるネシコンスもそうですが、イセトエムケブDさんの棺もとっても美人。

お顔がネシコンスと良く似ているなーって思ったのですが、自分で書いたネシコンスの記事を見たら、
ネシコンスの棺は元々イセトエムケブDの為に用意されたものとありました。笑 
 
・・・って事は、両方ともイセトエムケブDのお顔って事?ですよね。 
 

  丸顔だけどキリッとした凛々しいお顔立ちをしています。 
 
第21王朝の特徴的なスタイルの棺は、男性は両手を交差し手に護符を握っていたりしますが、女性はこの棺の様に指を揃えて伸ばした両手を交差させています。 
 
お顔の部分はとてもキレイなのですが、棺(の蓋)本体はちょっと残念な感じ。
 
棺のデザインはネシコンスのものと良く似ているけど、元々はイセトエムケブDのだから外側の棺と内側の棺って事なのかな。(でも大きさ的には同じ感じです。)
 
足元は神様が逆さまになっていますが、これは死者が目を覚ました時に起き上がった目線で描かれているから・・・かな。

で、上の写真はセティ1世の棺の横に展示されていた時に撮影したものですが、11月半ばに訪れた時はちょうど2階の踊り場で特別展示コーナーが設置されていて、イセトエムケブDの棺もそこに展示されていました。 
 
デルエルバハリのロイヤルカシェコーナー。 
 
ネシコンスの棺の本体に良く似てる~と思って見たら、イセトエムケブDのものと説明がありました。

奥の頭上部分に描かれたバーが可愛い~。
(ってピンボケしてて分からないですよね。笑)
 
この時は棺の蓋部分は横たわった状態で展示されていたので、横からパチリ。

この角度で見ると男性的なキリッとした表情をしていますが・・・ 
 
向きを変えて見ると、女性らしい柔和な表情になります。

立ててある状態だと下から見上げる角度になり、角度によって表情が違って見えるのが面白いと思いました。
 
ちなみに2週間後に再訪した時は、また別の場所に移動されていたので、現在はどこにいるのでしょうね。
 
第21王朝のアモン大神官ファミリーの棺や、デルエルバハリのロイヤルカシェで発見された棺達、少しずつご紹介していきたいと思います。