不登校の子どもたちとの出逢い | ここだけのはなし

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大阪府吹田市でフリースクールここという不登校の子どもたちの居場所を運営する団体です!主に代表三科の活動報告や想い、たまにスタッフもブログを書きます。吹田・豊中・大阪市・箕面・茨木・摂津・高槻・島本町などから通っている子どもたちがいます。

今回は僕が不登校を意識しだした頃の話を書きたいと思います。

独り言だと思ってサラッとみていただければと思います。


初めに学校に行っていないという子どもに出会ったのは、僕が梅田で路上ライブをしていた時でした。

当時はミュージシャンになりたいと思っていたので(というかミュージシャンだと思っていたので笑)大学に通いながら多い時で週に5回はライブをしていました。

そのおかげでたくさんの人と出逢うことができたのですが、その中に学校に行かず制服のままライブを観にきてくれていた中学生や高校生がいました。

当時は「学校が嫌なんやったらオレらのライブ来て元気出したらそれでOKじゃん!」とオラオラ系で物事を考えていました、残念です。

そんな音楽活動に力を注いでいた時、たまたま授業の一環で小学校にフィールドワークに出かけ仲良くなったその小学校の校長と副校長に紹介していただき、学校内で1つの教室を担当しながら学校に行き渋る子の家に行き登校を促したり、支援の必要な子の横について授業を受けたりするスタッフをさせてもらうようになりました。

その流れで吹田市の適応指導教室(市の教育委員会が運営する学校復帰を目的とした2次的な学校)でもボランティアとしていくことになりました。

「どうせやるんやったら不登校のことをもっと知りたい」と思い音楽そっちのけで小学校と適応指導教室を行き来していたある日、適応指導教室の倉庫の中からベースとアンプを見つけた当時中学2年生の不良がいました。

その子が何を隠そう「ここ」でベースレッスンの講師をしてくれている中根先生です()、不良ですね。

「これってどんな音がするんっすか?」と3歳児のような問いかけをされ、実際に弾いてみせてから適応指導教室でバンドを結成するまであっという間の出来事でした。

自分が持っている機材を運び、足りないものは友達や先輩に借りたりしてバンドをやりたい子の数だけ楽器やマイクを揃えることができました。

中でも普段滅多に触ることのできないドラムはとても人気がありました。

もちろんむちゃくちゃかっこいい僕のドラムに対する憧れもあったのでしょう、当時中学3年生の男の子と中学2年生の男の子がやりたいと言ってきました。

ちなみにこの中学2年生の男の子は、ネット上なので名前は伏せますがスタッフの上岡拓矢くんです。

話がU岡くんのせいで逸れましたね、すいません。

ドラムをやりたいと言ってくれた中3の子ですが、しばらく練習をしていきなり、時期が時期だけに受験に集中したいという理由でやめたいと言ってきました。

僕は理由がどうであれやり始めたことをこんな短期間(1か月ほどだったと思います)でやめるってどういうことやねんと怒りました。

ドラムをする上で壁にぶち当たり受験を言い訳にやめると言っているような気がしたからです。

すぐにその子の担当の相談員に話しをつけ、授業中でしたが場所を移し2人で話をしました。

すると男の子は泣きながら、「オレらは学校に行ってへんから成績がつかへん。成績がないってことは内申点がないんや。だから学校に行ってるやつらよりももっと試験で点数をとらなあかんねん!三科さんはそのこと知らんやろ!」と言いました。

この時のショックは今でも忘れることができません。

僕は路上ライブで出逢った不登校の子にしても、この中3の男の子にしても、当時一緒に過ごしていたすべての不登校の子全員の将来のことに関して全くの無知・無関心でした。

ちょっと楽器が触れるからっていい気になって音楽を教え、自己満足に浸っていた自分を恥じました。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

その男の子には心からお詫びをしました。ただ、そんななかでもまたいつか楽器を触りたいと思うことがあればいつでも声をかけてほしいとだけ言いました。

その後彼は必死に勉強をして無事高校に進学することができました。

今だけの結果をただ見るのではなくて、彼らと関わるうえで最も大事なことは5年後、10年後を考えることだと痛感しました。

彼が卒業した2年後「ここ」を設立しました。

設立に至った経緯はまたブログに書きたいと思いますが、不登校の子どもたちに出逢ったこの最初の1年の気持ちは、今でもとても大事にしていたいと思っています。

NPO法人ここ

三科元明