公務員も正社員も没落する貧困スパイラル(湯浅誠・堤未果共著『正社員が没落する』より) | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 一昨日、「反貧困フェスタ2009」に参加しました。フェスタの内容については、ブログ仲間のみどりさんが紹介してくれていますので、ぜひご覧になってください。(※みどりさんの「労働組合ってなにするところ?」 の3つのエントリー→「反貧困フェスタ2009 分科会」 「シンポジウム・前半」 「シンポジウム・後半」


 というわけで、私の方は、フェスタつながりで、雨宮処凛さんの主張と、湯浅誠さんの新著『正社員が没落する』を紹介します。


 今回の反貧困フェスタのテーマは「労働」で、正規労働者と非正規労働者の「労労対立」など分断をあおる言説にのせられてしまうと、貧困スパイラルが加速しすべての労働者が貧困化してしまう危険があると、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんは、フェスタのメインシンポジウムの冒頭で強調していました。(※湯浅さんが主張する「貧困スパイラル」の中身については、このブログで2度エントリーしていますので、そちらを参照してください。→◆公務員バッシング、正社員バッシング、派遣村バッシングがもたらす底なしの貧困スパイラル  ◆貧困か?過労死か?「ノーと言えない労働者」つくる自己責任論が全労働者を貧困スパイラルに陥れる


 湯浅さんといっしょにシンポジウムのコーディネーターをつとめた反貧困ネットワーク副代表で作家の雨宮処凛さんによると、フランスには、「よりよく統治するためには分断せよ」という有名な格言があるとのこと。意味するところは、「統治される側」である国民が、「分断統治」の「罠」にひっかかることのないように、との皮肉を込めた格言で、フランス国民は「連帯」するための大前提の言葉として認識しているとのことです。


 そのフランスでは、普通の賃貸物件で家賃を滞納していても、冬の間は凍死するなど生命にかかわることになるから追い出してはならない、という法律が存在することを処凛さんは紹介していました。かたや、会社の「寮」なのに、厳寒の中、放り出されてしまう日本。放り出す企業に対しても、それを許して何もしない国に対しても、何百万人の大規模抗議デモやゼネストなど発生しない日本。若者も上の世代も、世代間対立という「分断統治」の「罠」にひっかからないフランスでは、若者の働く権利が破壊されることになれば、やがて上の世代の労働者の権利も奪われることを知っていて、若者と連帯したすべての世代が参加する大規模デモなどで、「分断統治」をはねかえしてしまうのです。


 正規労働者と非正規労働者、公務員と民間労働者、男性労働者と女性労働者、団塊の世代とロスジェネ世代、健常者と障害者、などなど、見事に分断させられ、「よりよく統治」されている日本の労働者・国民は、自己責任論を内面化させられ、「統治する側」の責任を追及する大きな国民的運動が沸き起こりません。


 「今は誰もが苦しい。自分が苦しいと、どうしても他人が甘えているように見える。『甘えるな』と叱責することは、自分の苦しさ・大変さを承認してもらいたい欲求に根ざしている。自分の苦しさに対する承認欲求としての自己責任論。そこに自己責任論の根深さがある。しかしそれでは、『貧困スパイラル』は加速するばかりである」


 これは、「貧困スパイラル」を止めなければ、すでに始まった中間層=公務員と正社員の没落は止まらないと警告する、湯浅誠さんと堤未果さんの共著『正社員が没落する - 「貧困スパイラル」を止めろ!』(角川書店)にでてくる湯浅さんの言葉です。


 本書では、二人の報告と対談を掲載しているのですが、対談部分を少し紹介したいと思います。


 湯浅 中間層の衰退と貧困層の拡大は、ずっとセットで起こってきた。これからも起こっていくと思います。しかし、本人たちにその自覚が無い。中間層は貧困層がいっぱいいるから、俺らの条件が悪くなっているという。はじかれたほうは、中間層のあいつらが取りすぎているから俺らに回ってこないという。『作られた対立』と言っていますが、このようにいがみ合わされてしまう。そして、気がつけば、貧困層にまた一人なってしまう。


 (以下は、堤さんが、アメリカでは、行政の民営化と市場原理主義で、医師や教師などの中間層がすでに貧困化している実態を報告した後の対談です。 ※参照→過去エントリー「世界同時貧困 中流が墜ちていく~新自由主義が生んだ格差社会の恐るべき歪み」


  アメリカの中間層をインタビューすると、「ある程度豊かな生活ができていた時には民営化、グローバリゼーションは夢のようにチャンスをもたらすものだと信じていた」という声が返ってきます。彼らにとって貧困問題とは、あくまでも黒人や移民といった「可哀想な人たち」の話でした。(中略)まさか自分が同じ場所に墜ちるなど夢にも思っていなかった。


 自分とは接点のない貧困層の人々に、チャリティとして施しをする善意の側からの意識でいた。貧困層がさらなる貧困に墜ちるのとは、免疫がない分、衝撃の度合いが違うのです。だから自分自身が急に転落した時、ショックが並大抵ではなくて呆然としてしまう。


 湯浅 日本もそうです。私たちのところに相談に来るような人は、「自分がこうなるまで、まさか自分がこうなるとは思っていなかった」と、大概口を揃えて言います。野宿の人だけじゃない。単に食べられなくなってしまったアパートに住んでいる人も、若い人も、年寄りも、みんなです。「まさか、こうなるとは思わなかった」「野宿するその日まで、まさか自分が野宿することになるとは思わなかった」。これ、みんな、口を揃えて言うんです。


  今まで中間層だった人がですか?


 湯浅 中間層だった人に限らず。中間層の人はなおさらです。自分にそういうお鉢が回ってくるとは思っていないので。


  誇りが傷つく話ですね。


 湯浅 「なぜ、勝ち組のはずの自分が負けているんだ」と。


  アメリカの墜ちた中間層は、自分が貧困に墜ちてみて初めて、「民営化なんかさせるんじゃなかった」といいます。「自分たち中間層の余力があるうちに、もっと政策や社会構造にどんな欠陥があるのかしっかり見て、改善すべきだった」と。(中略)


 墜ちた医師が言っていた言葉があります。「弱者の貧困だけを見ていたのは間違いだった」と。「国家は、国民を経済的な面だけでなく、健康な心と体、誇りを持って十分な生活ができるところまで保障しなければいけない。にもかかわらず、そこがもうすでに侵され、壊れていた。そのことに気がつかなかった」と。(中略)


 湯浅 貧困問題というのは、社会の形が変わってきているという問題。(中略)2008年7月に発表された就業構造基本調査という総務省のデータがありますが、それを見ると、正規社員で年収300万未満の人が3割です。この3割が、みんな、20歳前後の若い人かといえば、そうではない。(中略)どうしても、普通に考えると、自分たちだけはなんとか生き残ろうという発想になってしまう。結局、蹴落として、蹴落として、自分たちだけはなんとか生き残れるはずだ、生き残れるんだという幻想にしがみつくところがある。そのような競争的な発想をすると、本当に自分たちが掘り崩されるその日になって、「まさか自分たちがこんな目に遭うとは思わなかった」という話になってしまう。


(※公務員の方は、上の文章の「中間層」を「公務員」に置き換えて読んでみてください。以上、国家公務員の必読書『正社員が没落する』からでした。byノックオン)