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【世代を超えた不朽の名作】

 

個人的この1作

 ドラゴンボール 

 

83年の『キン肉マン』、84年の『北斗の拳』、85年の『ハイスクール奇面組』、毎年ロングランヒットを飛ばす少年ジャンプアニメの中、この年ついにアニメ化したのが『ドラゴンボール』である。

原作者は鳥山明で、氏の前作『Dr.スランプ アラレちゃん』と同じ東映動画のスタッフがアニメ制作を担当した。

 

七つ集めるとどんな願いでもひとつだけ叶うドラゴンボールを巡り、主人公孫悟空を中心に繰り広げられる冒険活劇…という内容は、もはや世代や国境を越えて誰もが知るところ。

悟空の必殺技「かめはめ波」は、海外放送でも訳されず「KAMEHAMEHA」のままなので、今や世界で最も有名な日本語のひとつとなっている。

 

86年11月にバンダイから発売されたファミコンソフト『ドラゴンボール 神龍の謎』は、売り上げ120万本を記録。

当初、玩具のセールスは『アラレちゃん』ほど成果が得られなかったが、これ以後本作はテレビゲームの商品展開に活路を見出してゆく。

そして、爆発的ヒットをもたらした商品は88年から登場したカードダスである。

1枚20円で店頭のカード販売機から購入出来た本商品は、累計販売数20億枚を突破する。

(私も子供の頃、本カードを集めるのが趣味で、20年後ヤフオクで処分するまで保管していました!)

 

89年にアニメタイトルが『ドラゴンボールZ』に変わり、原作最終話まで無印と合計して約10年間放送された。

さらにZ終了後は『ドラゴンボールGT』として鳥山氏原作から離れたオリジナル続編ストーリーが96~97年に制作された。

11年間に渡り平均視聴率20%以上を維持し続けるまごう事なき国民的アニメであった。

 

さらに、本作が凄いのはリアルタイム世代だけでなく、現代の子供たちからも絶大な支持を受けている点だ。
アニメ終了から10年以上経た2009年、デジタルリマスターとして旧作を再編集した『ドラゴンボール改』がフジテレビ系の日曜午前からレギュラー放送開始。
2015年からは、新作ストーリーを描く『ドラゴンボール超』が全131話で制作され、2024年には鳥山明最後の遺作『ドラゴンボールDAIMA』が1クールで制作された。

現在に至るまで子供たちに受け入れられ、進化し続けるドラゴンボールはまさに「不朽のコンテンツ」と言えるだろう。

 

悟空の声を演じるのは、86年当時からベテラン声優の域に達していた野沢雅子

悟空の息子、悟飯もキャストを兼任し、さらに悟飯の弟・悟天役も務める。

収録の際、親子の声を演じ分ける際に別録りせず、瞬時にアフレコを切り替えるテクニックを用いたのは有名な話。

2025年、88歳になっても変わらず「だりゃりゃりゃ~!」と絶叫する野沢さんは、完全に声優界のレジェンド…いや、声優界のスーパーサイヤ人である。いつまでもお元気で。

 

 

 

こんな作品もありました

 聖闘士星矢 

 

 めぞん一刻 

 

 Bugってハニー 

 

ドラゴンボールと同じく少年ジャンプ原作の『聖闘士星矢』がテレビアニメ化されたのも86年である。

原作者、車田正美が描くこの作品は、プラモデルの要素を取り入れた聖衣(クロス)と呼ばれる鎧が少年読者に受けると共に、ギリシア神話・星座といった女性好みのファンタジーを入れ込むことで少女読者の獲得にも成功。

特にアニメは「美系キャラを描かせたら右に出るものはいない」と称された荒木伸吾がキャラクターデザインと作画監督を務め、原作以上に美少年に仕上げられたキャラが織り成すバトルは女性ファンを熱狂させた。

車田も「自分よりも画がうまい」と絶賛し、アニメが原作のエピソードの新たなアイデアの源にもなったという。

本作以降バトルスーツを装着して戦うヒーローの系譜が生まれ、『鎧伝サムライトルーパー』『天空戦記シュラト』『超音戦士ボーグマン』といった作品につながった。

 

ジャンプが取り逃した漫画家、高橋留美子の『めぞん一刻』もこの年アニメ化。

鳥山明の『Drスランプ』が『ドラゴンボール』にスライドしたのと同様に、本作も『うる星やつら』終了の翌週から同枠でスタート。

鳥山の両作が水曜19:00から、高橋の両作が水曜19:30から、まさに「フジテレビ系列水曜夜7時台枠のアニメ」は81年~88年まで鳥山&高橋のライバル対決に占められていたのである。

ヒロイン音無響子の設定は「未亡人」という異例なもので、モデルは女優の夏目雅子とされる。本キャラ初出の「アパートの美人管理人さん」というジャンルは、今でも男性の心を躍らせる響きであり続けている。

余談だが「五代君は管理人さんをオ〇ペットにしているー!」という台詞も当時ゴールデンタイムにそのまま流された。

 

上記の強力な漫画原作が映像化する一方で、アニメを一次商品とするオリジナル作品はほとんど息を潜め、特にTVアニメに関しては、漫画を映像化し作品未読者への裾野を広げる手段に用いられるようになる。

権利の都合で『ドラゴンボール』のような漫画原作アニメがアニメ雑誌の表紙を飾ることはできず、当時多数あったアニメ雑誌の多くがこの頃廃刊に追い込まれる。

このことから『宇宙戦艦ヤマト』をきっかけとした純アニメブームは86年には終息していたと言えるだろう。

この時代、子供にとってテレビ自体が番組を見るものではなく、ファミコンを出力されるための道具となっていた。そうしたブームを表すかのようにファミコンから生まれたヒーロー高橋名人が主人公となる『Bugってハニー』が作られたのも時代を象徴する出来事だ。

「高橋名人の冒険島」というファミコンソフトの世界観を舞台にしていることから、「日本アニメ史上初のゲーム原作アニメ」という側面も持ち、内容も現実社会の少年がゲーム世界に転移するという導入で、ある意味でSAOシリーズなどの祖とも言えるが、本作を今視聴して面白いと感じるかどうかは別の話。