「神無月」について広辞苑第五版に次のようにあります。
見出しの読みは「かみな-づき」で、「神の月の意か。また八百万(やおよろず)の神々が、この月に出雲大社に集まり、他の国にいないゆえと考えられてきた。また、雷のない月の意とも、新穀により酒をかもす醸成月(かみなしづき)の意ともいわれる。陰暦10月の異称。かみなしづき。かんなづき。神去(かみさり)月。」

 神無月は10月のことで、この月は国中の神様が出雲大社に集まるので、出雲の国以外では神様がいなくなる、とはしっかりと聞かされていました。こんなにいろいろな思いが込められた言葉だとは思いませんでした。

 この短冊は父所蔵のもので、「太刀雄」の銘を持つ方の作品です。
「神無月 ひとつ柿の実 わかち食べ わかれしことを われは忘れず」。

 ちょうど柿の季節。そのひとつの柿の実を分かち合って食べた。ひとつの柿の皮を上手に剥いている人、そしてその様子を見つめている私は、その手の様子、同じ幅で柿の皮がむかれて少しずつ長くなる。やがてむき終わって、柿は皿の上、ひとつの柿が四つに。そのひとつひとつをふたりで食べた。そしてひとときは終わってしまった。そのときのことを、ああ、あれは神無月のことだったのだと、私は忘れることは出来ない。そんな和歌でしょうか。
 
 それにしても、書き出しの五音「神無月」の「か」と続く七音「ひとつ柿の実」の「か」が重なります。続く五音「わかち食べ」と続く七音「わかれしことを」と次の七音「われは忘れず」で「わ」を重ねて結びます。響きがとても美しい歌です。

神無月と柿の実、そして別れ。太刀雄氏のおかげで、私にもそんな光景があったような気になりました。