「至誠」と大書し、「昭和三十五年 暮 高橋」と記された色紙です。
 裏書きは次の通りです。
「長期予報管理官 理学博士 高橋浩一郎 昭和三十五年十二月十二日 繋温泉にて 長期予報研究会にて」

 高橋浩一郎氏は理学博士であり、気象学者の方でした。昭和三十五年十二月十二日に行われる全国規模の研修会に、なぜか父が出席することになったようです。気象や予報について格別関心があったのではないと思いますが、とにかく出席することになったようです。
 父の自分史に次のような記述がありました。「昭和三十六年、県の職員研修所に移ったが、ここでも研修業務の基礎づくりに熱中したものである。ここに九年間勤務し、昭和四十五年に定年退職した。」 
 高橋先生の講義は昭和三十五年十二月十二日に行われました。父は昭和三十六年四月から県の職員研修所に移つることになっていました。そのため、研修のあり方を学ぶためにこの研修会への出席ということになったのかも知れないと思いました。

「至誠」は高橋先生が大事にしている言葉だったののでしょう。「長期予報」など、気象予報の世界も大きく発展している時代だったのでしょう。天気予報といっても、いいかげんでは済ませられない、その根拠を示して真心を持って予報する、それが「至誠」だ、という話しがもしかしたらあったのかも知れません。そのおかげでしょうか、「研修業務の基礎づくりに熱中」することが出来たのかも知れません。