「孫二人可愛くめでる楽しさを 老いたるわれは寂しく眺む」は、のり代の銘があり、私の祖母の和歌です。孫娘のひな飾りのお祝いに来てくれた時に詠んだものです。

 祖母は現河北町谷地から同じ河北町溝延に嫁つぎました。溝延城があった城下町とはいえ小さな町ですが、嫁いでからも本を読むことが仕事で、このように歌を詠むことなどをこよなく愛した方でした。炊事などの家事一切は娘達に任せ、何もしない方のように見えました。
 祖母の母、千代は三州田原藩の武士の娘であり、御殿女中もした女性でした。その千代が田原藩校成章館の教授、伊藤豫(やすし)に嫁ぎました。谷地町一の秀才であった豫は、江戸末期、医学を学ぶために江戸に上りました。勉学に励み成章館の教授となり、明治八年のはじめ、養母初子、妻千代らとともに、新しく出来る学校解明校を創るため谷地に戻ってきたのでした。その千代の娘が、この歌の作者、のり代なのです。 
「孫二人可愛くめでる楽しさ」とは誰のことなのでしょうか。「孫」ですから、私の父と母のことでしょう。二人とも初節句で一部屋分にもなりそうな雛飾りを整え、祖母を迎えている、そんな場面での息子とその嫁を見ていて、「老いたるわれ」である自分の中に湧き出す「寂しさ」を詠ったものと思います。
 祖母は子だくさんで、9人の子ども、そのうち5人が女性でした。2人の男は戦争にとられ、戦死が1人、もう1人の弟は帰還したけれど病人となっていました。そんなこともあって、父を初め男たちはおとなしく、女性軍には太刀打ち出来ないようでした。 

 祖母千代は、たくさんの孫たちに会うことをとても楽しみにしていました。毎年正月とお盆に集まる親族、とりわけ孫たちを心待ちにしていました。娘たちや嫁たちは、祖母が何も言わなくても、勝手知ったるところ、積もる話をしながら、お茶を出したりご馳走を出したりするのでした。
 そんな様子を祖母は座って眺めていることが大好きでした。大好きだったけれど、自分の生きてきた時のことを思い出しながら、もう戻れない自分を感じ、淋しさも感じていたのだと思います。