大変古い短冊です。ブログ604の父の「自分史」の中に、著名な歌人、俳人の色紙をいただいたとのことがありました。
この短冊も、その折りの一枚かも知れません。元々は雪をいただく水色の山々、そのはるか上に飛び交う鳥が3羽描かれた短冊に墨黒々と俳句が描かれています。今は年月を感じさせる短冊となっています。

「雪に信ず学徒の熱く創る歴史 玄子」

 銘にある「玄子」は『山形県出身の俳人・歌人』によれば、
「1798-1870年 76歳没 長井市小出の旧家川崎家の出身。若年のころから小出の俳人竹田太橘の指導をうけ、後俳諧修行の旅に出てほとんど全国を行脚すること二十余年にして故郷に帰りあまたの門人を取り立てた。幕末のころ置賜俳壇の第一人者とあがめられた。」
とありました。
 この通りの方であるとすれば、「1798-1870年」「幕末のころ置賜俳壇の第一人者」とあります。玄子が「学徒」と書いているのは「熱く学ぶ門人」のことではないかと思います。若い門人が創る俳句の世界を信じ、それが彼らが創る俳句の歴史となるのだ、といっているのでしょうか。そして、その「学徒」たちは、この雪国の中で暮らし、学んでいる者たちだ。真っ白い雪がそれを信じさせてくれる。そんな激しい思いを語る玄子の一句なのかも知れません。
 
「幕末の頃」と言えば、山形からも多くの若者が江戸に出て、また全国を巡りながら学びました。そのことから言えば、「学徒」は、作者自身のことではないのかとも思いました。