「三日月の こけしのひとみ 線となり まどろむらしき 山のまひるま」の和歌、「妙子」の銘があります。

 真っ赤に金粉の帯の入った短冊に墨黒々と書かれた和歌です。こけしの「ひとみ」が「三日月」のようであったのに、それが「線」のようになって「まどろんで」いるようだ、「この山の真昼間」は、という和歌でしょうか。

『こけしの目』と題した父の一文があります。
「こけしなどは顔にしたって胴にしたってみな同じようなものだと思っている人が多いようだが、なかなかどうしてそんなものではない。こけしは作る人によってみんなどこか違ったところがある。目にしてもおなじことで、こけしにはいろんな目があるが、これを整理分類して見ると、およそ別図のようなものになる。ただ三日月といっても下の線が定規で引いた直線のようなものやわれ三日月でも二本の線が平行しているようなものがあって、いろいろの変化、くずれのあることは当然のことであろう。」(郷土は語る こけし②)

 このようなこけしの目の他に、ほとんどまぶたを閉じている『ひとみ線となる』こけしもあります。今飾っている50本ほどのこけしの中に1本、「もりおかこけし 安保一郎」と銘のあるこけしです。
 盛岡出身の安保一郎のこけしには、「キナキナ」という丸い頭となで肩の胴体のみのこけしがあります。これは特別なこけしでしょうが、安保さんの絵付けをしたこけしには『ひとみ線となる』こけしがありました。まゆも鼻も口も線描きで、目も小さな線描きの優しい目です。まどろんでいるように、頬はほほえんでいるようです。

作者は「山のまひるま」にいるのでしょうか、それとも遠く眺めているのでしょうか、また、こけしを見つめているのでしょうか。「まどろむ」ようなうっとりとしたお顔が目に浮かびます。