田原の成章館が増築され、その近くに新居をいただいたのは慶応2年、鳳山63才の時でした。伊藤清蔵は45才にして夫婦で海外旅行をするゆとりを持つことが出来ました。清蔵の父豫(やすし)は子育てに苦労しながらも教師として慕われて57才で亡くなり、その祖父、伊藤鳳山が安らかな生活を得ることが出来たのは63才になってからでした。

田原での鳳山の生活を阿部正巳氏はこう書いています。
「田原に隠蟄後の鳳山は、齢既に耆を超え、心身頓に衰へ、昔日の放膽卓犖の気を裘ふ、著述も従前の如き精力を傾注したるものなく、難を去りて易に就けり、田原転居後の著述は、元治元年七月扁倉傳割解彙攷刊誤補遺の著あるのみ、其外漢字交じりの注解本二三種あり、只詩は老後の遣懐として、屢々吟遊を試み、或は講書の招きに應じて近國に出遊する毎に、史蹟勝地を探り、高歌酔吟して、田原に還るを常とす、前生涯の轗軻不遇に比して、田原に於ける晩年の境涯は優游棲遲、只一意後學薫育の爲めに、是れ日も足らず、實に文翁の輿學にも比肩するべし」(阿部正巳著「鳳山伊藤馨」伊藤鳳山傳記刊行會)

阿部正巳氏の「鳳山伊藤馨」は昭和4年9月25日発行です。難しい漢字や言葉があります。「隠蟄」は「インチツ」でしょうか、『新漢語林』大修館書店によれば「隠」も「蟄」も「かくれる」の意味です。鳳山は隠れたわけではありませんから、隠れたようにあまり表舞台に出ることがなくなったという意味で使っているのでしょうか。

「齢既に耆を超え」の「耆」は、「老」の下に「日」を書くという漢字です。何と読むのでしょうか。『新漢語林』で「老」を引き「耆」を見つけました。「キ」とか「シ」と読むそうで、「としより」「60才の称、また70才の称」「おさ、かしら」の意味だそうです。この場合、「齢すでに60才を越し」の意味でしょう。「耆儒(キジュ)徳のある儒者」「耆徳(キトク)年老いて徳望の高い人」などと使うそうです。

「放膽卓犖」は四文字熟語のようですがなんと読むのでしょうか。「放膽」は「ホウタン」でしょう。「思い切って大胆に行うこと」とあります。「卓」は「優れた」の意、「犖」は「ラク」と読み「まだら牛」であり、「あきらか」に「目立つ」、「優れる」などの意味です。「放膽卓犖」は「ホウタンタクラク」で、「大胆であり優れて目立つ」ということでしょうか。

「昔日の放膽卓犖の気を裘ふ」が分かりません。「裘」は『新漢語林』によれば「キュウ」と読み「かわごろも」、「かわごろもを着る」の意味とあります。この部分の意味は「昔のような大胆さや優れて目立とうとする気はなくなっていた」となるように思うのですが。
「裘」の意味、使い方が分かりません。

鳳山がこの時期唯一書いた本『扁倉傳割解彙攷刊誤補遺』のこと、「屢々」という言葉などについて、また調べてみます。