ボン市のデッシ家での留学生活が始まりました。デッシ家はボン市に来たばかりでしたから、二人娘のオルガとエルサは友達は誰もいませんでした。オルガにドイツ語を習いながら、若い四人、清蔵とK君、オルガとエルサは、ボンの市民がするように、しだいに市内の散策に出るようになりました。もっとも、はじめのうちは二人の父親と母親が交代で監督としてついてきていましたが、しだいに遠出をしたり、自転車で行ったりするようになって、4人だけで出かけるのを認めるようになりました。


清蔵もK君も真面目な青年であると分かって信用してくれたのでした。この散策は、いつも4人というわけではなく、オルガとエルサ、K君だけの時もあれば、清蔵と娘二人の時もありました。また、留学仲間が加わって5,6人となることもありました。時としては、デッシ家の親族の娘も加わって、かなりたくさんで出かけることもありました。


祭日の夜や土曜の夜に、デッシ家のサロンではよく音楽会を開いていました。エルサがピアノを弾くときにはオルガが歌い、オルガがピアノを弾くときにはエルサが歌うという音楽会でした。その様子を清蔵はこう書いています。


「オルガは小さなサロン内の歌手としては誠に好適な、澄んだ色彩のある声量の所有者で、殆ど素人離れした所があった。音痴である私も、彼女の美しい声に魅了せられた事幾回となるかを知らない。」(伊藤清蔵『南米に農牧三十年』)


このようなボンでの生活が1年になろうとしたときです。4,5人の留学仲間が集まって雑談しているとき、K君が突然言いました。
「僕はオルガには心から惚れてしまった。自分に妻子がなかったら彼女に結婚を申し込むのであったがなあ。」

冗談ではあったろうが、これを聞いて清蔵は愕然としました。胸がざわめいてどうしようもなくなりました。そうなのです。K君の言葉を聞いてはじめて、オルガにすっかり参っている自分に気がついたのです。清蔵はすぐに「これは危ない!」と思いました。
 
「国には老母が私の帰りを待っている。すぐの弟は職に就いたものの、まだ2人の弟には学資が必要だ。3人の妹もまだ嫁いでいない。私の責任は実に重い。まったくもって、惚れたはれたと言ってる場合ではない。それに、日本にドイツ女なんか連れて帰ったらとんでもないことになる。」清蔵はそう思ったのです。


ちょうどその頃、ゴルツ先生のボン大学での勉強も一通り終わったので、ドイツ東部のハレ大学に転学しようかと考えていたところでした。ボンから350㎞ちかくも離れているところでした。