新渡戸先生が札幌農学校から去り、本科2年となった清蔵は専門を選択しなければならなくなりました。その時になって初めて、清蔵は気づきました。農学校で勉強すれば「食」を得ることにつながると考え札幌に来た清蔵でした。学問として、農学の何を学べばよいか全く考えてもいなかったのです。


考えてみれば、農学という学問はとても幅の広い学問です。すべての生物の中から人間にとって有益なものを選び出し、これを育てたり、増やしたりしてたくさんの人間に供していくのにどうするかという学問です。育てたり増やしたりする過程で、害になる生物や環境についても研究しなければなりません。


育てる、増やすというけれども、これは自然環境、地域環境、社会環境によって、何を育て増やすかは異なってきます。北海道と九州では育てるものが異なるのは当然であり、同じ北海道でも土地によって、気象によって、どんな人々が住んでいるかによって異なるものを育てていかなければなりません。


更に、「食」の学であれば当然、国や県や町の最も大きな行政課題です。政策としての農についての研究もまた広い農学の大きな一分野です。国を富ますという意味では、土地の有効活用はもとより、農地の確保としての国土の拡大、殖産、拓殖はこの時代の日本の緊急課題でした。


困ってしまった清蔵は宮部先生に相談しました。当時、札幌農学校で学者として最も名声の高かった宮部金吾先生です。「宮部博士は農学を修めたけれども、その一面に当る植物に専念して、殆ど純粋な植物学者のような顔をしておられ、学者ではあるが聖者のような有徳な人であったからである。」(伊藤清蔵著『南米に農牧三十年』)


宮部先生は清蔵の質問を静かに聞いた後、「一体、お前は何学科が一番好きか?」と問い返しました。この問い返しに清蔵はおどろきます。清蔵が農学校に入学したのは農学が「好き」だったからではありません。自分自身そして一家のために「食」を得るための近道と考えたからであり、農学を修めることは、「好き」だからではなく、義務だからやるのだと思っていたのです。


清蔵は「学ぶ」ことの意味を、この時になって初めて真剣に考えたのでした。

「『好きだから学ぶ!』それは権利と義務を超越している。人生に累る統ての煩累を横目に見捨てて、一直線に己の好むところを学ぶ。何というエゴイズムであろう。しかも、純真なる『自己本位』に学問を究めながら、聖者と尊ばれ、学生尊崇の的となりつつ、自己を立て家族を養って行かれる宮部先生の如きは、真正の『自己本位』であったればこそ本当の大学者となられたものであろうか。」(同上)