歴史に特筆される創価学会の宗教運動
 
梶田 叡一(かじた えいいち) 兵庫教育大学前学長
 
第三文明2013年3月号掲載 特別企画より抜粋
 
 
 利己的な幸福を追求する生き方ではなく、他者の為に利他的に生きるという、人としての振る舞いは、2500年前に釈迦が説き、鎌倉時代を生きた大乗仏教の指導者・日蓮が説き実践しました。
 
 現代に於いては、SGI(創価学会インターナショナル)が、この大乗仏教の持つ精神性を、世界192ヵ国の地域にまで広げました。
 
 私はカトリック教徒ですから、SGIの運動にメンバーとして、直接関わってきた分けではありませんが、40年にわたり多くの創価学会のメンバーと付き合ってきました。
 
 SGIの外縁にいる者として、大乗仏教の精神に基づく運動が、よりいっそう高まって欲しい、強まって欲しいと期待しています。
 
 仏教の精神性に基づき精神性を大事にし、利他的な社会を築いていく、こうした運動を展開するSGIは、人類社会全体にとって、大きな知的・文化的・歴史的な財産だと思います。
 
<宮沢賢治と 雨ニモマケズ>
 
作家の宮沢賢治は、創価学会の皆さんと同じく法華経の行者として生きようと願いました。
 
37歳の若さで亡くなった宮沢賢治は、亡くなる少し前に「雨ニモマケズ」という詩を残しています。
 
実は「雨ニモマケズ」は、読者に向けて発表された詩ではありません。宮沢賢治が亡くなったあと、私物を入れていたトランクから出てきた手帳に書いてあった詩です。
 
 賢治は短い詩であろうと、童話であろうと、発表するまで何度も何度も書き直す作家でした。
 
ところが、「雨ニモマケズ」は加筆訂正の記録がありません。
 
 人に見てもらう作品として作った分けではなく 「私はこういう生き方をしなければならない」 という自己確認のためのつぶやきであり、メモでした。
 
 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ  雪ニモ夏ノ暑サニモ マケヌ」に続き、宮沢賢治は「欲ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ イツモ シズカニ ワラッテイル」と綴りました。
 
まわりの世界との付き合い方にワンクッションを置き、柔和に自分自身を律して行きたいというわけです。
 
 「東ニ病気のコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニ疲レタ母アレバ 行ッテ ソノ稲ノ束ヲ負イ」という一節は、困っている人がいれば、何とか助けてあげたいという無償の奉仕です。
 
 困っている人を何とか助けてあげたいと思っても、自分が役に立たない時にはどうするのか。
 
 「ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ サムサノナツハ オロオロアルキ」
 
 日照りや寒波など、天変地異が起きた時には、悲しみにおろおろと歩きながらも、共苦・同苦して他人の苦しみを分かち合うのです。
 
さらに、「ミンナニ デクノボートヨバレ ホメラレモセズ ク(気)ニモサレズ サウイフ(そうゆう)モノニ ワタシハ ナリタイ」
 
 他者と同苦しているのに、みんなからは「デクノボー」とさげすまれたっていい。これこそが、宮沢賢治なりの法華経の読み方です。
 
 
 
 法華経で説かれる常不軽菩薩は、人から軽んじられても、自分をさげすむ相手に向かって、深く拝みました。
たとえ石を投げつけられても、石が当たらない場所まで逃げてから、その人を拝んだのです。
 
 誰でも皆、命の中に仏性を持っている。 人間としての精神性をもっている。その仏性に敬意を表する。
 
 宮沢賢治は常不軽菩薩のように菩薩道を実践したいと願い 「雨ニモマケズ」を書いたのです。
 
 宮沢賢治が目指した菩薩道の生き方は、創価学会のメンバーが日々精進しておられる姿に重なります。
 
 賢治は「農民芸術概論綱要」の中で、日蓮仏法の主要な誓願の中のひとつに、世界の全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ないと綴っています。
 
 同じように、みんなが幸せにならなければ、自分の幸福はないと考え、懸命に行動する創価学会のメンバーが、法華経に説かれる 「地涌の菩薩」のように、大地から次々と出現しているのが今です。
 
これからの日本社会には、利他の精神を持ち菩薩道を行ずる創価学会のメンバーが、いやまして貴重なのです。
 
 生前の宮沢賢治は周囲から奇人・変人扱いされて、彼の作品が評価されるようになったのは、死後の事でした。
 創価学会もまた、第一世代、第二世代が亡くなるころになって、ようやく社会から評価されつつあります。
 
 第三世代、第四世代にあたる青年層は、学会が社会の偏見と戦いながら、菩薩道を貫いた草創期の精神性を継承し、更に頑張って欲しいと期待します。
 
<社会に開かれた宗教と、閉ざされた宗教>
 
 1991年11月、創価学会は日蓮正宗(日顕宗)から破門されて、「魂の独立」を果たしました。
その後SGIは「開かれた宗教」として、世界192ヵ国・地域に広がり、一方で日顕宗は「閉ざされた宗教」として社会とは隔絶し、宗教教団が保つべき、精神性を失っています。
 
 創価学会の池田名誉会長と、対談集を発刊しているトインビー博士(歴史学)は、「大宗教の運動とは、常に人々の精神性を活性化させなければならない」と主張しました。
 
 日顕宗はこれとは逆に、人々の精神性を活性化させることなく、「信者から供養さえ取れればいい」と形骸化しています。
 
 日顕前法主のような一部の聖職者がのさばり、人々の精神的な覚醒、活性化につながる活動をしない。日顕宗は法華経に説かれ、日蓮が示した菩薩道の精神を失い、信徒を従属させて金を巻き上げるだけの教団に堕してしまったのです。
 
 発足当時の日蓮正宗は、日蓮の精神を現代において実践しようとする宗派だったのかも知れません。
 
 だからこそ、創価学会の三代の会長は日蓮正宗を護持してきたのでしょう。
 
 ところが今では日蓮正宗は日顕宗と化し、原点である法華経の精神、菩薩道の精神とはかけ離れ“化石化”した、人々の益にならない教団になりました。
 
 日顕宗により破門宣告されてからというもの、創価学会は誰にも遠慮することなく純粋な法華経の精神、純粋な菩薩道の精神を実践してきました。
 
 寺ではなく、会館に集まって会合を開き、お葬式は僧侶を必要としない友人葬として開いてきたわけです。
 
 創価学会は菩薩道の精神に基づく宗教運動をリバイバル(再生)させてきました。日顕宗との決別によって、創価学会は本来あるべき純粋な姿に還ることができたのです。
 
 このこと自体が非常に素晴らしいことです。
 
 日顕宗の姿は、宗教運動・教団が陥りがちな落とし穴に落ち込んでしまった悲しい姿です。
 
こうした形骸化は、カトリックの長い歴史にも見られたところです。創価学会はその道に墜ちることなく、精神性を保ち続けています。
 
これから、200年、300年、400年と時がたつにつれ、創価学会の運動は日本の文化史、宗教史に特筆されていくことでしょう。