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「地涌からの通信29」不破 
 
「地涌からの通信29」
日蓮正宗中枢の傲慢と戦う
不破 
はまの出版
定価1000円
230ページ
1994年6月7日 初版発行
 
2014年 平成26年 10月17日 読了
 
★ ★ ★
 
【目次】
 
(741)学会憎悪と住職不信の感情が正信会和解へと日顕を走らす。日顕は「分析」が嫌いだから「感情」がすぐ「妄動」に結びつく
 
(742)酒にやられてにわかに断酒した日顕が宗内に禁酒を説く。ご都合主義でクルクル代わる本性は「訓諭」にも顕れている
 
(743)日顕の心は末寺住職に対する不信不満で一杯になっている。「援助金もらっている者は酒を飲むなテレビを見るな」だと
 
(744)日顕宗の核を形成していた日顕と“陰の総監”河辺との間に、いよいよ公然としてはばかることのない亀裂が生じ始めた
 
(745)日顕に盲従しないことを理由に迫害されてきた佐藤僧都が、「宗風紊乱の一番の元凶」は日顕にあるとして離山した
 
(746)正本堂は冷暗所と化し通路は真っ暗闇に青年は老人になった。昼すでに黄昏た大石寺にかつての隆盛の姿は見いだせない
 
(747)日顕宗系と正信会系の仕掛人、利権屋、恐喝犯、売文家が、創価学会破壊を目的に出版界の無節操に乗じ暗躍している
 
(748)山崎正友と龍という毛虫が桜を指して毛虫と中傷している。謀略は山崎、腐敗は龍個人に由来し創価学会とは関係ない
 
(749)『週刊新潮』が悪意で取り上げた「怪文書」を作成した者は、創価学会を憎悪し末寺とマスコミのFAX番号を知る者だ
 
(750)「唯授一人の血脈相承」の“大導師”であるはずの“法主”日顕が、サボリ明けの丑寅勤行で間違いをし参加者一同に笑われた
 
(751)『週刊新潮』の乙骨、『週刊実話』の段のコメントが同じ。しかもそれが事実に反しているとなればお笑い草である
 
(752)無慈悲に桜を切った坊主が花見と称しドンチャン騒ぎ。日顕は広宣流布より遊興が好きな父子一体の破戒僧
 
(753)「日顕と政子は元より親戚、妾の孫と本妻の曾孫である」。「日顕の父・日開に子種はなく実の父は高野日深」と暴露本
 
(754)遊び人・日顕に「隠し子」のち「パイプカット」の重大疑惑。日蓮正宗内部より溢れ出した『法主の大醜聞』に唖然!
 
(755)遠路わざわざ登山した人々に日顕が口汚く罵声を浴びせた。こんな無慈悲な男が“法主”では阿仏房も二度と登山しない
 
(756)ゴルフ狂いの宗務大支院長・横田が見せしめに解任された。どうせ遊ぶなら日顕がしてきた酒と女にすべきであった
 
(757)“平成のインパール作戦”と言われる炎天下の六方総登山を、日顕は参加者の辛苦を考えず「実に楽々」であると評した
 
(758)雨は降る雷は鳴るおまけに何の間違いか洪水の“中継”。ドタバタのうちに新六万塔の「開眼」をし日顕の顔は冴えない
 
(759)先々で嘘であったとバレでもいま景気づけになればいいと、「宗務広報」が日顕シアトル買春裁判で眩ましの大嘘報
 
(760)日顕宗の看板講頭は講中の女性幹部複数と肉体関係を結び、それを核にして講をまとめ日顕より最大の評価を受けている
 
(761)正義の仮面をつけた日顕宗のある講頭の真実の姿を知れば、信心の血脈なき集団が何によって結びついているかわかる
 
(762)妙観講講頭・大草一男と関係した女性幹部の綴った日記は、講活動と性活動が密接不可分におこなわれてきたことを示す
 
おわりに
 
★ ★ ★
 
日蓮大聖人の仏法を信解せず、仏法を商売道具として考えている日顕らは、できるだけ仏法をむずかしいものにしようとする。仏法は、一般大衆には理解することも、信ずることもむずかしいものであるかのように説く。それを正当化するため“難信難解”との経文の一偈まで持ち出す。
  仏法を知識化し、訓詁注釈の領域に押し込め、一般大衆の生活域と隔絶したところに封じ込める。権威づけのため特殊な仏法用語を多用し、あたかも出家のみが仏法の本質を極めているかのように装う。
  ときには伝統仏教に自己の存在を委ね、他の宗派と変わらぬ修法も見せる。献膳の儀において箸をせわしなく動かして見せるのは、他の多くの既成仏教においてもおこなわれていることで、格別に日蓮正宗の伝統ではない。
  これを日蓮正宗独特の作法と思い込んでいる坊主がおり、自慢げに話しているのは、狭隘なる知識の故の独善にほかならない。御本尊の前で、仏飯に箸を差したり抜いたりしながら、せわしなく箸を動かしてなんの意味があろうか。
  去る四月二十八日に大石寺においておこなわれた立宗会で、日顕が献膳の儀を執りおこなっているとき、箸でオカズのようなものをつかみそこね、コロコロと転がしたのは、誠にもってお笑いであったが、これなどは田舎芝居の役者が大見得をきる寸前にセリフをトチッたようなものであろう。
  田舎芝居で思い出したが、お会式のとき、御影堂において“法主”が回りくどい請いに応じ、不自然に高い台の上で説法するのも、あまり感心した演出ではない。これをもって上行菩薩の涌出、あるいは日蓮大聖人の出現を意義づけると言われても、まるで悪しく敬っているとしか見えないのである。
  そもそも“法主”が日蓮大聖人の名代となり、高座から衆生を見下ろして説法するという感覚が、どうにも日蓮大聖人の仏法と背反するものと思えてならない。
  このお会式のルーツは、第十七世日精の時代に遡るという。日精は、京都要法寺流の邪義を大石寺に持ち込んだ謗法“法主”である。その日精が考え出した儀式ならば、なるほど時代の変遷とともに、ここまで奇妙な儀式になってしまうのかと、うなずけるのである。
  お会式の儀式について、法華経の重要場面に擬した“芝居”と言ってくれればいいものを、最重要な固有の儀式と位置づけ、しかも高座に登った大石寺の住職が仏法を難解にアレンジし、聞いている者にできるだけわからないように話すから、それこそ話がややこしくなるのである。
  出家が得意げにおこなっている献膳の儀だとか、お会式の儀式だとかは、日顕が好んで持ち歩いている中啓(大きな扇子様のもの)程度の意味しかない。これらの儀式や道具について、それなりの意義づけをもって坊主らは語るが、所詮、出家の権威づけを目的にしたものであり、日顕が所化をブン殴るとき中啓を使うように、儀式も本当のところは信者を煙に巻く程度の役割しかなしていないのだ。
  どうも日顕宗の坊主らは、日蓮大聖人の仏法の本質を隠し、信者に畏敬の念を持たせ、それらの人々を支配収奪することを目的としているようだ。これは、日蓮大聖人御在世当時の極楽寺良観らのおこなっていたことと同じ。日顕らは、良観らと共通する邪師なのである。
  こう見てくるとき、日蓮大聖人の仏法を純真に信じ弘めてきた創価学会の師弟が、今日において日顕らと対峙し、徹底して破折し追撃しなければならない本源的な理由が了解できるのである。
  創価学会の師弟は、七百年前の日蓮大聖人一門と不思議な縁の故に同じ戦いをしている。ただ、南無妙法蓮華経を信じ奉り、仏法中の怨を責めているのである。
  日蓮大聖人曰く。
  「爰を以て品品の初めにも五字を題し終りにも五字を以て結し前後・中間・南無妙法蓮華経の七字なり、末法弘通の要法唯此の一段に之れ有るなり、此等の心を失うて要法に結ばずんば末法弘通の法には不足の者なり剰え日蓮が本意を失う可し、日蓮が弟子檀那別の才覚無益なり、妙楽の釈に云く『子父の法を弘む世界の益有り』と、子とは地涌の菩薩なり父とは釈尊なり世界とは日本国なり益とは成仏なり法とは南無妙法蓮華経なり、今又以て此の如し父とは日蓮なり子とは日蓮が弟子檀那なり世界とは日本国なり益とは受持成仏なり法とは上行所伝の題目なり」(御義口伝)
  いま創価学会の師弟が、題目を閻浮提に弘めんと勇んでいる。
  1994年5月
(おわりにより)
 
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FAX通信「地涌」をまとめた本、第29弾です。
 
1994年2月24日より5月6日までの期間に発行された、第741号から第762号までが収録されています。
 
「法主」である日顕が、勤行を幾度も間違えるなど、目も当てられない日蓮正宗の姿が浮き彫りにされています。
 
日顕は、仏法破壊の行為に出たため、自身の恥ずかしい過去をあばかれ、何ともあわれな姿を晒してしまいました。
 
衝撃なのは、父である日開が、実の弟に妻を寝盗られたために出家をしたという、情けない事実です。
 
そのうえ、息子である日顕も、実はスマの浮気のすえに産まれた、種違いの子どもであることも明るみになりました。
 
哀れ日開は、二度も自分の妻を寝盗られたことになります。
 
母が不倫のすえに産まれた子どもが自分であるということが、日顕の屈折した人間性を育んだのかもしれません。
 
また、妙観講の最高幹部である大草一男の、乱れた女性関係も公表され、日蓮正宗は、僧侶・信徒共に、乱れきった男女関係で成り立っていることがよくわかります。
 
以下ポイントメモです。
 
●日顕の父、阿部日開は弟に新妻を寝盗られたために出家した(P139)
 
●若い時代の淫蕩な生活の過程で、日開は睾丸炎を患い、「無精子」であった(P143)
 
●信夫(のちの信雄、さらに後の日顕)は、法運の子ではなく、高野法玄の子である(P148)
 
●妙観講講頭、大草一男の乱れた女性問題(P217)
 
●大草は、講の女性幹部を妊娠させ、堕胎させても、いっこうに懺悔することもなく、卑劣にもシラを切り通してきた(P218)