「生と死をめぐる生命倫理3―安楽死・尊厳死をどうみるか」創価学会生命倫理 研究会・東洋哲学研究所 共編
「生と死をめぐる生命倫理3―安楽死・尊厳死をどうみるか」
創価学会生命倫理 研究会・東洋哲学研究所 共編
第三文明社
238ページ
2001年6月30日 初版発行
2014年 平成26年 8月29日 読了
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【目次】
まえがき 東洋哲学研究所所長 川田洋一
創価学会ドクター部長 森田修平
第1章 今日的な「安楽死・尊厳死」問題
1.終末期医療の現場で
2.尊厳死・安楽死問題
3.安楽死・尊厳死が問うていること
第2章 終末期医療の最前線
1.終末期医療の現状
2.安楽死裁判を通してみる医療の課題
3.変わりつつある終末期医療
第3章 「植物状態」とは
1.植物状態の概念
2.植物状態患者の実態
3.脳科学における“識”の問題
4.仏法から見た植物状態
第4章 「良き死」へのケア-実際の事例から
1.QOLとターミナル・ケア(終末期医療)
2.実際の事例に学ぶ
第5章 安楽死・尊厳死と仏教
1.“大いなる死”
2.「安楽死」論の用語と概念
3.安楽死の系譜
4.安楽死と仏教
5.安楽死から尊厳死へ
6.尊厳死の系譜
7.尊厳死の問題点と限界
8.釈尊にみる「尊厳なる死」の条件
9.「生命の尊厳」と「人間生命の尊厳」
10.「尊厳なる死」と「尊厳死」
11.日蓮仏教における「尊厳なる死」
第6章 座談会「安楽死・尊厳死とケアを考える」
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本書は、まず「安楽死問題」の歴史をたどりながら、今日の「問題点」を抽出しております。次いで、終末期医療の最前線、植物状態についての現状を紹介。そして、仏教における「安楽死・尊厳死」を論ずる前提となる「人間の死」とケアの問題を、「良き死へのケア」として、臨床例を紹介します。さらに、釈尊の臨終の姿に学びながら、人間にとって「良き死」(本来の意味での“尊厳なる死”)とは何かを考え、日蓮大聖人の仏法へと展開しております。最後に、座談会では、本書に関わったドクター部・学術部・白樺会の方々で、仏教の「生死観」を基盤として、現代医学への関わり方を、それぞれの専門に立ちながら話し合っています。
(「BOOK」データベースより)
「安楽死」「尊厳死」の問題が、「人間の尊厳」「生命の尊厳」とは何かを問うている以上、仏教は、その内包する「生命論」「生死論」から、今日的医学の状況に即して、そのあり方を選択するための基盤を提供することができます。
(聖教ブックサービスの案内文より)
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「安楽死」「尊厳死」というテーマを、仏法の見地から一考察を加え、論じ合っています。
結論としては、積極的な安楽死は否定的であるものの、ケースバイケースであるとしています。
しかし仏法では、生命をいかに維持させるかという「生命の尊厳」より、人間として価値的に生きることができるかどうかという、「人間生命の尊厳」こそ、最重要であるとしています。
「いかに生きるか」という問題こそが、尊厳な死を迎える、第一条件となるでしょう。
そして最も価値的な生き方が、「慈悲を発動しながら生きる」ことであると、仏法では結論しています。
以下、ポイントメモです。
●「尊厳死」について(P13)
●安楽死・尊厳死は、線引きや手続きの問題ではなく、人が、絶望的事態に陥ったとき、その事態をどう生き抜いていくかが問題である(P26)
●使命の成就をみとどけつつ、自覚的に“死”を選び取る(P89)
●仏教では「殺してくれ、楽にしてくれ」という思考の叫びの中に、自分の苦しみを理解してほしい、自分を支えてほしいという、切なる叫びを聞き取ることを要請している(P110)
●人間生命には、いかなる人といえども、宇宙大の生命――仏性を内在し、それを顕現できる可能性を有しています。狭義の安楽死は、仏性顕現の可能性を奪ってしまう行為となりかねないゆえに、否定的にならざるを得ないのです(P111)
●人間の尊厳性は「つとめ励む」中に輝く、仏法では、人格の輝きこそ、人間の尊厳性でもっとも重要視しており、単なる生物学的生命の延長を主張してはいない(P129)
●つとめ励む人々は、死ぬことがない(P132)
●仏法では「生命の尊厳」よりも、「人間生命の尊厳」に焦点をあてている(P230)