時代と人生 働きながら学ぶ烏城高校3年 同級生岩田日記(抜粋)3 | 5円玉持って岡南神社(八十路を生きる)

5円玉持って岡南神社(八十路を生きる)

車に乗れなくなった。歩くしかない。歩き始めはまず岡南神社。そこからはあちこち。感じたまま、思ったまま。子供の作文です。

1956年(昭和31年) 12月鳩山一郎内閣から石橋湛山内閣へ 神武景気2年目

  原子力委員会設置 日本原子力研究所設置 ソビエト連邦と国交回復 日ソ共同宣言 国際連合加入

 

◎岩田日記

2月10日 学校の出席率が悪い。自分も今学期になってからとてもよく休んでいる。休みだすとくせがつくもので、おかげで解らない箇所も相当出来たようだ。4年生も今日限りで、明日から学校は休みである。文教へ「お母さん読本」の校正刷りを届けたが、今年は割に早く済み、一時間3頁組めた。

3月31日 帰って久しぶりに机に向かって見ると周りがきちんと誰かの手によって整頓されていて実に気持ちがよい。恐らく妹でも暇まかせにしたのだろう。いつもこうであればいいのだが・・・。もう休みも半分過ぎてしまった。未だ学校のものには何も手がけていないが、始まるまでには少しでも片付けて置きたい。転職の件などあってどうも落ち着いた気持ちになれない。不安だ。給料を貰ったが思ったより多かった。(手取り7,600円)

今月は僕にとって人生の岐路になるともいえる。四年間も馴染んだ柳本を止めて夕刊岡山へ?又は失業か、兎角此度の転職はこんなに早くあるとも思わなかったし、何か見えない運命の糸が引っ張ってくれたのかも知れない。寧ろこれが良い結果になるか悪い結果になるかは疑問であるが・・・。どうか良き道となって呉れ。いやこれは自分の努力次第だ。この年一生懸命頑張ろう!

4月1日 今日は四月バカとは云え自分にはとても幸運だったように思う。午前中は出勤で午后から夕刊岡山へ行くと採用して下さる意向で後三人程募集しているとか・・・。自分は恵まれた男だと思った。これからはもっと人に好かれる人になろう。そして皆の為に役に立つ人間になろう。帰りはとても嬉しかった。十時ごろMさんが退社の挨拶に来られたそうだ。生憎く会えなかったので残念だった。

母や妹は未亡人会より牛窓のオリーブ園へ旅行に行った。羨ましかったが又自分も遊ぶときはあろう。牛窓といえば2・3年前の夏を思い出す。帰ってからもどこかへ遊びに行こうと思っていたが、裏の方へ行ったりしてぶらぶらした。天気は良かったし、気持ちがよかった。夕方A君が来たので久しぶりに学校のことなど話した。勉強は未だ何も片付かない。

〇自分

歯科商店の営業(歯医者さん廻り) 汽車とオートバイ 

月曜 倉敷市内 火曜 総社 水曜 水島 木曜 倉敷市内 金曜 倉敷・西阿知・船穂 土曜 玉島   

お店に帰ってから登校

だからどうした。それがどうした。