「忙しい」。「時間がない」。「気持ちに余裕がない」。
こんな会話をよく耳にします。

私自身も未熟なので、無意識にこんな言葉を発してしまうことがあります。
でも、本人が一番自覚していますが、これらの言葉を吐いたところで、問題はいっこうに解決しませんね。

また、社長や幹部と従業員さんの“温度差”が問題となることもあります。
社労士という立場でいろいろな相談を受けていると、労務問題のかなり多くは根っこにこのテーマが横たわっていると感じます。



社長や幹部は仕事に熱心。忙しいこともいとわない。
でも、その部下たちは、忙しいのは嫌だと思っている。


これはなぜでしょうか?
単に仕事が好きだったり、責任感があったり、はたまた報酬が良いからでしょうか?

感覚的に「そうではない」と思う人も多いでしょう。

 

 




 

 

 


そんな中、私が参加している月に1回の陽明学の大家の難波先生の講義で、先日以下のようなお話を学びました。

「事上磨練」のテーマの中の一節です。

やや長いですが、自分なりに要約すると、こんな感じです。。



 




仕事が忙しいのを嫌がるのは、あなたがその仕事の“傍観者”だから。

心から仕事が大事だと思い、それに取り組んでいたならば、仕事中はもちろん、たとえプライベートの時間であったとしても、あなた意識は常にその仕事の“当事者”だ。

この状態にあるとき、あなたと仕事は、一心同体だといえる。

それが“傍観者”になると、無意識にうちに、自分と仕事とをすべてにおいて分けてしまう。

 

 

 


「静かでないと、考えられない」

「暇がないと、何もできない」
「やることが多過ぎて、時間がない」


このように思うと、心に不満や投げやりな気持ちが出てきてしまい、かえって物事はうまくいかなくなる。

 

 



大切な仕事は、そもそも暇を求めてはいけない。その仕事によって救われる人の気持ちを忘れ、目の前の快楽ばかりを求める心の働きは、ある意味災害よりも悲惨だといえる。

仕事によって幸せになる人がいる以上、その仕事が面倒だと思ったり、暇を求めたりするのは、どう考えても本来のあり方に反するはずだ。

ついついそうなってしまうのは、あなたが仕事を通じて世の中を良くしたいと思う心が本気でないからだ。

(「王新甫に答える」 超約)




 

 



本当に耳が痛い言葉です。

このような心を持って仕事に向き合えば、人は必ず幸せになっていくし、さらにその仕事を通じて他人を幸せにしていくことができるのだと思います。

ひいては、労使の関係にも同じようなことがいえるのかもしれません。

決して“傍観者”になることのないよう、つねづね心にいい聞かせていきたいものですニコニコ