堺屋太一さんを偲ぶ

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堺屋太一さんが2月8日にお亡くなりになりました。
先日お通夜ご葬儀が行われたそうですが、私もその報を聴いたときにはショックを受けました。

惜しまれつつ平成の世が幕を閉じることになりますが、その目前にひとつの“時代”が終わったのだと思います。

堺屋氏が論壇や文壇で大活躍されていた頃、私は学生時代でした。
とにかく、切り口鋭く世の中を論じた書物が大好きだった当時。
氏の「日本とは何か」や「知価革命」を読みながら、変革期を迎えるこれからの日本について、ある種の高揚感を感じていた記憶があります。
今思い返すと、昨日のことのようです。



 

 


叔父が歴史物好きだった影響もあって、子どもの頃に手に取った「豊臣秀長」が大好きでした。
今でこそ天下人秀吉の軌跡は実弟秀長の存在なしには成立しなかったことは半ば常識とされていますが、この時代にだれが読んでも理解できる歴史小説という形式で真正面から切り込まれた氏の書物には、心から感動しました。
 

少し時期が経って書かれた「鬼と人と」も同じです。
信長と光秀という最強のコントラスト。それぞれに「独白」させることによって、近世の幕開けに向けた歴史のうねりがダイナミックかつ本質的に解き明かされる。
最初に手に取ったときは、言葉にできない感慨を受けました。

来年の大河ドラマは光秀がテーマですが、この本は両者の“人間理解”にまさに欠かせない偉大な作品だと思います。


 

 

 

歴史の分野でも政治経済の分野でも、日本を代表する第一人者でいらっしゃる堺屋さんのような方は、今も昔も他にはおられないと思います。
学生時代、そしてまだ確たる方向性も見出せなかった若かりし頃、歴史にも文学にも政治にも法律にも哲学にも社会学にも心理学にも美術にも音楽にも等しく興味があった私は、ときおり親しい人からも厳しい指摘をもらっていました。

選ぶのは1つの道。それ以外は遊び。あれもこれもやりたいなんて、ふざけている。
そう思う人が圧倒的多数で、道が定まらないのは人生真剣に考えていないからだという教えが一般的だったので、私は、毎日のように不安にかられ、どうしたらよいのか迷い、ときに失望しました。
そんな中、ひとつの光明をもたらし、羅針盤となったのが氏の書物たちだったのです。

面識は得られませんでしたが、その意味では“師匠”だったと感じています。

 


 

昨年もこの時期に西部邁氏の悲しい報がありました。
本当にさみしいですが、今でも今だからこそ遺作にたくさんの智慧と勇気を与えていただいています。

https://ameblo.jp/koiwahironori/entry-12348119959.html

 

心からご冥福をお祈り申し上げます。