実務には関係のない時事的なできごとについてブログに書くのはあまり趣味ではないのですが、これだけ毎日のように大々的に報じられている国民的な関心であり、なおかつ広い意味ではこれから社労士が関わるかもしれない、働き方やライフスタイルをめぐる変遷にも間接的には関係なくはないと思うので、少しだけ。。

ほかでもない、省庁の事務方トップや知事の辞任劇。社会的にも法的にも許し難い、セクハラとされています。立場も状況も内容も違いますが、あまりにもタイミングとメディアの切り口が近すぎる。ということで、これらは何か(よくない)時代のバックボーンが裏打ちされていると感じる人もあるかもしれません。

もちろん、世の中にはいろいろな意見があります。知事さんの方はよく分からないですが、例の省庁トップだった人のケースは、女性という特徴を前面に出して取材活動するメディアにも問題があるとかないとか・・・。私は専門外ですが、いずれにしてもだからといって「セクハラ」という認定の妨げになるものではないというのは、一社労士としての意見です




それよりも、こんな“構図”自体が、あまりも古くさくて、ワンパターンのテンプレで、およそこれからのリアルな日本の姿を投影したものとは思いにくいということ。べつに、いちがいに昭和的なものや古風なものが悪いというわけではありません。でも、私個人の感想は、テンプレが古すぎて、気持ち悪い、ということです。

もちろん、法的に悪いものは悪い。社会的にアウトなものはアウトです。それは間違いないでしょう。でも、それ以前に、なんで男性は(若い)女性に(仕事上も)贔屓をする(それがエスカレートして、ハラスメント化する)のでしょうか?なんで女性は男性を意識して常に相手方を異質なものだと扱うのでしょうか?これらは何かに強制されているのでしょうか?社会的な圧力なのでしょうか?

答えは簡単ではありませんが、「そんなのは昔から決まっていること。男性(女性)とは、そういうものだ」という声が聞こえてきそうです。本当にそうなのでしょうか?世の中には、まさにいろんな女性と男性がいます。女性だから○○、男性だから××というのは、昔からそんなことはありませんが、昨今はますますいい意味で価値観の多様化が進んでいると思います。

 

 

 


 

 

 

ひとつの拙い仮説として、「(ひと昔前の)テンプレにハマった生き方の方が出世しやすかった(生きやすかった)」。半ば冗談のようですが、これは一つの有力な見立てになりうると個人的に感じています。こんな言い方をすると怒られそうですが、(昭和な時代の)テンプレに従って、男子は男子らしくした方がモテたし、出世できたし、女子は女子らしくした方が幸せな家庭を築きやすかった。

なるほど。でも、今は女性だって働くのが当たり前だし、もちろん男性だって家事をやるのが当たり前。多様化の時代の流れの中で、他でもない働き方改革の潮流の中で、ますますその傾向は強くなっていくでしょう。そう、今までのテンプレは、すでに古くなりつつあるのです

そう考えたら、なんか全体像が見えてきた気がします。今まで問題にならなかった(もみ消されてきた)テーマが真正面から取り上げられる時代になってきた。これは、自然にいいことですね。




言葉に書くのは難しいし、きっと誤解を受ける可能性があるけど、「男性は(あくまで)男性らしく」「女性は(あくまで)女性らしく」。この構図をこのまま修正なくテンプレにしていく時代は、もう終わりつつあるのでは?少なくとも“平成世代”はそう感じ始めている気がします。これから平成も終わって、また新たな元号へ。どんな時代になっていくのでしょうか。