「片岡鶴太郎」といえば、お笑いや絵画であまりにも有名ですが、最近はメディアでも独自のライフスタイルを披露し、長寿を目指す生き方を実践していることで知られます。私もたまたまテレビを見たりして個人的に興味があったのですが、ご縁があって出版記念講演会に参加した人から新刊をいただきました。

『心の中に「静」を持つ』。200ページほどの本ですが、カラー写真などもあって見やすいので、あっという間に読み終えました。内容的には、鶴太郎さんの半生記と人生観、ヨーガや食生活を中心とした健康管理法、人生後半の過ごし方と死生観。「人生100年時代」の今は、知識やノウハウを与える本ではなく、長寿社会を生き抜く知恵や価値観が求められるといいますが、まさにそんな時代の一冊ですね。




 


私が興味があったのは、次のような点です。
 

・「不易流行其基一也」

(不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ進展がない。しかも、両者の根本はひとつである)

 

・毎日同じことを続けていくと、見えてくるものがある。

(毎日同じリズムを味わいながら内側を掘り下げていくと、心も身体も微妙な変化を見逃さなくなり、「生き方の軸」が作られていく)

 

・世の中はすべて「陰と陽」で成り立っている。

(人生とは、二つでひとつの世界観の中で、自分の持っている「シード=種」に気づき、成長させていく活動)

 

 

 

↓ 鶴太郎さんの直筆サイン

 


 


私はヨーガはまったく分かりませんが、週末に下手な手料理を作ったりするので、食事による健康管理や長寿法には興味があります。「食べること」は「生き方そのもの」。本当にそうだと思います。人間の身体は外部から摂取したものによって維持され、それが心のバランスにも大きな影響を与えているのに、日々のせわしい日常の中で、まるでそのことを意識する感性が乏しくなっているのですね。

 

・現代人の多くは、食べ過ぎ

(ルネサンス期のイタリア貴族、ルイジ・コルナロが、“極少食”で命をとりとめた逸話)

 

・ゆっくり時間をかけて食べることで、素材の生命力が身体中にしみ込む

(「空腹は最大の調味料」)

 

・消化には、フルマラソンと同じくらいのエネルギーが必要

(野生の動物がケガや病気をしたときは、いっさい食べ物を口にせず、消化に使うエネルギーを“代謝”に使う)

 

どれも、興味深いですね。現実的にぜんぶ実践するのは難しいですが、気持ちのどこかで意識していきたいものです。

 

 

 

 

テレビなどでも公言されていますが、鶴太郎さんは「125歳」まで生きることを目指しています。それは、もちろんただ生きながらえることではなく、「神様からいただいたこの肉体の可能性を最大限にまで引き出すこと」。「天寿」とは、「天の意思」であり、「大いなるものの意思」ともいえるそうです。このあたりは、私が最近学び始めている“陽明学”とも根っこが同じですね。

 

「40歳を過ぎたら、自分の身体に責任を持つこと」。このことの意味は、日々身体の健康を守っていくことはもちろん、それ以前に心の健康を意識していくことが肝要だということ、その世代になった私にも痛いほど分かります。そして、それはいい意味でいずれ訪れる「死」を意識したり、死生観にもつながる「自分軸」を持っていくことで、しっかりと培われていくものだと思います。

 

 


 

私は子どもの頃から、「将来は長生きしたい」と口に出していた、ちょっと変わった少年でした。クライアントとのやりとりや社内での朝礼などでも、たまに自分の死生観を披露します。「長生きしたい」という意思、自分なりの確固たる信念は、人生を力強く歩んでいくための一番根っこのベースにあると、今も昔も思っています。ちなみに、私の“目標年齢”は、「94歳」から「96歳」に引き上がり、さいきん「100歳」になったと、古株のスタッフは口にします(笑)。
 

自分が社会に出た頃、あるいは社労士の勉強をしていた頃、「長生きしたい」と口にする人(特に男性!)は、ほとんどいませんでした。でも、時代が変わって、今では国が「人生100歳」を高らかに掲げる時代です。何気ない日々のようで、急速にこの社会が変わりつつあることを感じますし、少年時代の私もあながち奇人ではなかったのではと、照れながら振り返ったりもします。


鶴太郎さんのように125歳は難しくても、確固たる目標として「100歳」。私も揺るがず、目指していきたいと思います。それだけの価値がこの人生にはあるし、やるべき仕事や役割があるのだと、信じて日々精進していきたいと思います。