木村義雄がいなかったら今の将棋界はないわけで、すべての棋士は木村義雄に足を向けて寝られんのじゃい、
大山康晴という人は、ホントに馬鹿みたいに将棋が強かったんじゃい。
そういったことを書きたかった。 (先崎学)
二人で考えて、ようやく時代背景や指し手の意味がわかったものが多く、
より深く先人や名勝負に思いをはせることができた (中村太地)
 
 
<帯> 木村VS大山から羽生VS谷川まで 20世紀の熱局、名勝負を先崎・中村の兄弟弟子コンビが語り尽くす‼



 
(27歳の大山を退ける、木村義雄の底力)
中村   「今でこそ横歩取りをやりますが、古い定跡がなぜ消えたのかは知らないことが多いです。」
☗☖   「実は、☗3二飛成に☖同飛は「宗英定跡」と呼ばれ、江戸時代、大橋柳雪の師である大橋宗英が『平手相懸定跡集』で解説していたようです。
先崎   「江戸時代にあったんですかぁ。 それは全く知りませんでした。 いやいや、びっくりしました。」
 
(「神武以来の天才」加藤一二三の挫折)
先崎   「加藤先生という重戦車がバシッと指せば。 それを『まぁまぁ』としたのが、大山康晴の底力。」
第19期名人戦第5局(1960年)の加藤先生のお若い写真、 天彦さんと似た雰囲気を漂わせています。
 
(詰みを指摘した記録係、高校三年生の米長)
1962年1月19日 産経臨時棋戦三番勝負第二局千日手再差し直し局  升田幸三九段×大山康晴名人
観戦記には 「記録係は高校生の少年米長邦雄君(三段)」 と記されています。
観戦記によれば、投了直後に升田九段が「詰んでいただろう」と☖4八角を示し、大山名人は☗2七玉☖3六龍☗同玉に、☖2五銀を読んで詰まないと判断したそうです。
で、記録係の米長三段が 「☖2五金、☖3八銀不成で詰みです」 と指摘したのだそうです。
 
(大山VS米長のダブルタイトル戦)
先崎   「この時期はねぇ、大山先生と米長先生が、いろいろ張り合ったんですよ。」
先崎   「タイトル戦で旅館に泊まると、どちらが早く宿を出るかで勝負しているんだ。」
先崎   「一緒の飛行機に乗ると、空港に着陸してシートベルトのサインが消えた瞬間に、どちらが早く列に並ぶかというのを競争するわけよ。」
 
(新鋭、先崎と村山聖の決勝戦)
先崎   「最初ね、村山くんに2連勝したら 『君は本当に強いなぁ』 と言われたんだけど、そのあとに2連敗したら 『君は案外大したことがない』 と言われて、なんて単純なやつだと思ったけど(笑)。・・・ 」
☗☖   「先崎九段が村山将棋を『デジタル攻め』と表現していました。・・・デジタル攻めって何でしょう。」
先崎   「デジタル攻めですがな。 イチ足すイチ、 イチ足すイチ。」
中村   「なるほど。」
先崎   「感心するところか(笑)。」
先崎   「村山将棋は相手の玉の周りをとりあえず薄くするとか、・・・寄せは俗手、優勢になったら俗手。 基本に忠実で、ガシャンと拠点に打ち込む。・・・意外と序盤型なんだよね。」
 
(谷川と羽生の永世名人レース)
先崎   「谷川さんが勝つときは、筋に乗せる。一本のレールの上に相手を乗っけて運ぶのがうまい。」
先崎   「相手が気付かないうちに終点まで運んじゃう。」
先崎   「ここまで年代順に棋譜を並べてきたけど、この将棋が一番強いね。 分かりやすく強い。」
 
先崎先生と太地先生の酒席の話題は、半分が(先崎先生曰く)くだらないこと。
残りの半分の八割は先崎先生のグチ。
残ったほんのわずかなところに先崎先生が語る、昔の棋士のことや将棋の評論を聞きたいがために、太地先生は他の時間をじっと聞き役に徹して我慢していたようです。
そんな話をまとめたものがこの本です。
 
なかなか奥が深い名局集が出来上がりました。
 
 
<もくじ>  
まえがき  
第1局 27歳の大山を退ける、木村義雄の底力
第2局 「神武以来の天才」加藤一二三の挫折
第3局 詰みを指摘した記録係、高校三年生の米長
第4局 無冠の50歳大山、中原にリターンマッチを挑む
第5局 シリーズ最終局を制した、名人の手渡し
第6局 深夜の「終盤の魔術師」森雞二
第7局 「泥沼流」米長の逆転術
第8局 大山VS米長のダブルタイトル戦
第9局 奇跡的な大トン死
第10局 がん明けの63歳大山、執念の名人挑戦
第11局 「怒涛流」大内の勝負手
第12局 新鋭、先崎と村山聖の決勝戦
第13局 谷川と羽生の永世名人レース
対局者プロフィル
参考文献  
あとがき  
   
   
  著者: 先崎学・中村太地
  2018/7/31 初版