僕は、本屋さんが大好きなので、以前、東京理科大学神楽坂校舎の近くの、ラムザタワーの中にある、本屋さんで、偶然、「自殺について」他四篇ショウペンハウエル著、斎藤信治訳。という岩波文庫の本を見つけて、実際に買いました。

 

 その本には、4篇の内容が書かれているのですが、非常に解りづらい本のため、「自殺について」のところだけを、近くのドトールで、コーヒーを飲みながら読んでみました。あらすじは、だいたいわかったのですが、詳しい内容までは、その時は、わかりませんでした。

 

 そこには、宗教の記述があり、ユダヤ教、キリスト教などの宗教についての説明がありました。私は、最初は、信仰宗教の勧誘は、非常にしつこく嫌いでした。

 

 何度も何度も、訪れたり、駅の近くに立っているだけの人が何人もいます。

 

 しかし、自分の心の中に、宗教を持っていることで、その人の人間性を発揮できるのだと、私は、僕の最愛の伯母が亡くなってからは、思い始めました。

 

 そして、以前、僕は、航空公園駅前に立っていた、1人の女性の方に、話しかけてみたのです。その人は、僕と、初めて会ったとは思えない口調で、僕と気軽に話しをしてくれました。

 

 私たちは、「エホバの証人」で、宗教の説明をさせて欲しいと言って、iPadで、映像を見せてくれました。

 

 その映像は、私たち人類の進化の様子、また、地球環境の変化や、動植物の変化の様子を見事な映像によって現していました。

 

 そして、僕はその人が、今度家に伺ってもよろしいですか?と言うので、いいですよ。と言っておきました。

 

 そうすると、後日、その女性はやって来ました。

 

 僕は、インターホン越しにしか、話をしませんでした。

 

 いろいろとやらなければならないことがあるし、部屋も散らかっていたからです。

 

 その時、僕は、以前から、エホバの証人は、自分の身内でも輸血を拒否するという、1つの疑問を持っていたため、それを聞いてみました。

 

 なぜ、エホバの証人では、輸血を拒否なさるのですか?と。

 

 すると、聖書の記述に、「無駄な血を流すな」と書いてあるからです。

 

 というじゃないですか?

 

 僕は、それは、戦争などで、無駄な血を流すなと言っているんだと思いますよ?

 

 と言いました。

 

 すると、その人にお礼を言われて、その人は、僕の顔を見ずに帰って行きました。

 

 それからしばらくは、誰も僕のところにやってくる人はいなかったのですが、ある日の午前中に、僕の家のチャイムが鳴り、出てみると、今度は、「ものみの塔」と言う信仰宗教のおばさんが2人立っていました。

 

 僕に、ぜひ教会に来てくださいと、言われました。

 

 でも、その日は、いろいろ仕事をしなければならなかったので、断ると、何度も何度もやってくるので、僕はクリスチャンなので...。というふうに言いました。

 

 それでも、まだ、しつこく、何度も何度もやって来ます。

 

 ある日、僕が夜遅くに家に帰り、家のドアポストを確認すると、なんだか封筒のようなものが、教会にいらしてください。という内容が書かれた可愛らしい便箋に書かれた手紙が、可愛らしい封筒に入れて入っていました。

 

 これは、あのおばさん、さては、俺に気があるな?と気づき、僕は、その手紙を、そのままゴミ箱に捨ててやりました。

 

 すると不思議なことに、それ以来、その女性は僕の家には、全く来なくなり、本当に、心から安らげる時間を過ごせるようになりました。

 

 実際に、自分の宗教を持つことは大切だと思いますが、人にまで、それを押し付けようとするのは如何なものかと思います。自分の宗教を信じる気持ちがあれば、それでいいのだと、僕は思います。

 

 そして、その本「自殺について」という本には、古代からユダヤ教では、「自殺は罪だ。」と言う考え方を持っていることが書いてあることを実際に読みました。

 

 その流れを継いで、キリスト教でも、自殺は罪とする考え方を持っていることを知り、私は、仏教のように、死ぬことを美徳とする宗教はいけないと思うようになったのです。そのため、僕は、西洋の宗教の方がずっと素晴らしいと思うようになりました。

 

 それから、僕は、自殺は決してしない。と心に決めたのです。^_^