今更明かされる梁瀬鈴雅(やなせれいあ)

最初からおかしいと思っていた。HKT48の6期生(つまり、一昨年の新人)オーディションの経過を知らせる番組の中で一番、背が高く、16歳(つまり高校入学の年だ)でありながら楽器を30種類こなし、中学の時に難病で入院生活をしている最中にHKT48のビデオを見て元気を貰い、こんな人に元気を与えることの出来る存在になりたい、と地元神奈川からわざわざ福岡のHKT48を受けた。アイドルオーディションはただの一度。つまり、アイドルや芸能人になりたかったのではなく、HKT48になりたかったという存在。オーディションの最中、まだ病気のリハビリ中で体力が回復していず、ダンスのレッスン中に何度も離脱して涙に暮れる場面もあった。彼女の場合、オーディションの障害は体力が持つのだろうか、ということだったのだろう。

しかし、彼女は耐え、そして運営はその魅力・素質を認めた。

この時点で私は「なかなかよさそうな子だな」くらいだった。お披露目の折にも他にHKT48お得意の(?)小学生・中学一年生のお子ちゃまが注目されていたが、ただ一人成人の最上奈那華とどうしても子供には見えない梁瀬鈴雅の二人は本当の意味での即戦力だったようだ。地元企業モデル出身の誰が見ても美女の最上奈那華はともかく梁瀬鈴雅はやっと芽が出始めたばかりのはずなのに体格ばかりでなくスケールの大きさを感じさせるものだった。

その彼女が最上奈那華に続いて公演デビューしたと思ったら公演の中でも「華」である「てもでもの涙」を演じ、一日の公演を通して演じきった、と涙し、地元ラジオ局の番組MCを担当し、
最新曲「バケツを被れ!」https://www.youtube.com/watch?v=oAVnPC_gSkQで選抜メンバーとなり、
配信限定シングル曲「こんな時代に」https://www.youtube.com/watch?v=cylLQqICvgU ではセンターになる。←必見!
「こんな時代に」のMVの中で彼女は指揮者になるが、なんと彼女は「元々指揮者になりたくてそのために多くの楽器を操れるように勉強した」そうだ。ピアノから三味線まで。

一体、どこのお嬢様なんだよ、と誰もが思う。

そんな時、彼女の生誕祭で新たに表明された。慶應義塾大学の附属中学に通っていたけどHKT38に入りたくて退学した。

彼女の口から出た、というので安心した(?)ヲタから次々と秘密が明かされる。「実は以前から知っていた」「彼女は高校受験の全国模試で1位だった」秘密を知りながら「彼女が表明するまでは」と自主的にその秘密を守っていたヲタに感謝。

お嬢様で
才媛で
楽器万能で
オーラがあって
体が弱くて
全てを捨てて遠く離れた博多でアイドルオーディション

どんだけの素質を秘めているんだよ!
もし、東京のアイドルグループ(坂道など)を受けても確実に合格し、
より有利な条件でスター街道を走れたかも知れないのに

「病気のベットの上でHKT48に元気を貰った」「だから私もHKT48で人に元気を与えたい」

HKT48は大変な宝物を得た。あとはこの原石を如何に磨けるかだ。