我慢しない | 大場浩平

大場浩平

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何年か前だけどある人に自分のやってるブログに対して

「お前の自惚れしたブログなんざ誰も見たくない、みっともないからさっさとやめろ」

と直接言われました。当時はやはり「蛙の面に小便」でしたが、今になってやはりグツグツと腹の底から静かな不満と怒りがこみ上げてきます。

それにしても「自惚れ」・・・。

自己満足、自慰行為と一緒?でも冷静に考えてみたら確かに「自惚れ」できるような素晴らしい人生だったもんね。昔は。

毎日が充実して毎日やり切ったと思えた素晴らしい毎日。決して美化なんてしてない。

ブログなんかで公表できないような不満も沢山あったけど、それ以上に周囲の協力と達成感があった。損したことも多かったけどそれ以上に得をした。自分の勘違いもあったけどその勘違いがまた自分に力を与えてくれた。

強いて後悔してることを言うなら自分を信じきれなかったことかな?自分の心の奥底にある、

最も大切にしなくてはいけない本能。

その本能に従わず中途半端に人の言うこと聞いて半信半疑のまま中途半端な事したこととか。それも当然。だって本能では「絶対違う」って言ってるんだもの。

優先したのは自分の「根底からの本能」ではなく人間関係。自分の脳内でまるで多数決みたいに勝手に決めた。本能を無視して。

何を優先すべきかはわかるつもりだし「嫌われない為の良い人」を演じる必要は全く無いことがわかった。

自分が一番正しいと思い込むか、最初に誰かに教わったことを又聞きで信じ込んで勝手なことばかり強要する人は多い。絶対聞かなくてはいけない時と絶対聞いてはいけない時がある。

自分も強要しないだけで結局そういう人と同じ。でもそういう人間に比べ少し自信が無かったのに悔いが残る。

自分は昔「メイウェザーの真似では、そんなスタイルでは強くなれない。もっと基本に忠実にやれ」、とよく言われていた。知らない奴なら気にならなかったけど、知人や親しい人に言われると気持ちがかなり揺らいでいた。誰に言われようが関係無いのに何故自分をとことん貫けなかったのか。

人はみんな持ってるモノが違うけど、自分に関しては何かを信じて崇拝し真似から入って、そこから自分を造っていくのが一番気持ちが安定し実力以上の力を発揮できる、ということに気づいた。

気づいた時は既に選手として壊れかけてた28歳の時だった。気づくのが遅すぎたと思う。

今でも時々「人間関係」を優先すべきと自分に嘘をつこうとする。漸く自分に正直になれてきたのにそんな自分を残念に思う。

話題は戻るけど今は全然「自惚れ」できる様な人生は歩んでいない。自分にも相手にも、勝つことも負けることもできない。今の仕事をブログの記事にする気は無い。載せたって「今日も疲れた」でおしまい。全然誇らしくない。ただのオッサン。

我が子が順調に育ってくれてることが唯一の生き甲斐。

「それだけでも十分満足するべきだ。それだけでも自分がどれだけ幸せかわかってるのか?私なんか複雑で辛い状況を幾度も潜り抜けてきた。私なんか」と説教したがる奴はもうどっか行ってください。

何故とっくにボクサー引退しててただのオッサンやってて誰もこんなブログなんぞ見てない筈なのにまたやってるのか。

以前「お前の自惚れしたブログ」と言ってきた人に対して黙ってて「何故言い返さなかったのか」と自分にムカッ腹が立って「お前の言うことなんか聞いてたまるか」とその人に強く伝えたいから、というのは かなりあるでしょう、見てないでしょうけど。

あと一人で今まで我慢してて本当に言いたかったことが今は自由に文章にできる、要するに只のストレス解消。

ボクシング評論家擬きなんて昔から馬鹿にしてたけど引退してる今結局自分も長々と文章造って人のこと小馬鹿にしたようなブログ更新してる時点で自分も結局同じことやってるかもしれませんけどね。

更に言うなら具体的な目標を失って過去の僅かな栄光と後悔を思いだし、現在のやるせない毎日から八つ当たりを繰り返す自分にもなんだか残念なんですけどね。