こんばんは
ひーちゃんですニコニコ
またまたお久しぶりってくらい日にちが空いちゃったね。





今日は最近あったことから
生まれた言葉を書いていきます。





ここ最近、
女であるから楽で弱くてそれでいて足りない存在だという男性からの意見や
女であることで男に詐取されている悲しき存在だと憤慨してる女性に出会う。
 
 
 
そのどちらにも感じるのは
女であるということは簡単でいて弱いという前提の存在。
 
 
 
女が女を扱い"女"を生きると
軽く見られることと軽く扱われることが
当然であるような、
そんな前提が双方にあることで生まれるものを感じる。

 
 
あたしはこの数年、
自分の
"女"に光を当てて生きてきたけれど、
"女"の部分、というか自分の持っているジェンダーをそのままに生きるということは、
この世に存在するどの性であってもそれはとても強く深く太い生き方だと、あたしは感じた。
 
 

ある程度の語弊が生まれることも加味して
言葉にするなら、
女に波があることは
創造性と大きな生産を生み、
この世にいま存在するたくさんの不共和を壊し、シンプルなものにしていく強さがある。

  
男は壮大でいて深い愛があるからこそ
どんな変化の中でも
自分の力で
愛するものを守りたいという願いと
叶えようとするシンプルさがある。

 
 

あたしは今回使っている肉体が"女"だから、
"女"という言葉にいま反応をし、
こんな言葉を綴っているけれど、
女を題材にしながらもどちらの性もまた
ここまでの人生の中で
認識すらできていないところで自分の性を傷つけてきたのだろう。
 
 

 
そのままを生きるということは
自然でいてとても強い生き方なのだと思う。
誰かに示さなくてもいい、
その本当の意味がわかった時に
木のような太い幹と
揺らぐ枝や葉のような柔らかさを持てるのだろう。

 

そのままでいていい、ということは
とても暖かく優しい世界だ。
 

 
どんな言葉があたしの周りにやってきたとしても
あたしはいつもここに行き着く。
 
 
 

そしてあたしはその世界のために
あたしのしたいことでどう表すことができるだろう、そこへと意識を向ける。
 
 
 

それぞれが投げかけた言葉に強い憤りと
自分たちの性への侮辱であることを感じて悲しみを持ったけど、そのおかげであたしはあたしの願いに辿り着くことができた。

 
 

 
今日茜を煮ますよ。
あなたの性の強さと優しい愛に捧げます。
あたしの性の強さと優しさにも。




 





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