再婚して20年、いつのまにか仲睦まじい日々から遠ざかってしまったが、年に一度の長期の個人旅行は夫と二人きりになるせいか、唯一、夫婦が夫婦らしく過ごせる楽しい日々だった。去年2024年は南米・南極・マチュピチュを35日間かけて思い存分、二人で楽しんで来た。

 

そして、わずか2か月後、突如、夫は膵臓がんと診断され、闘病生活へ。病名を告げられた時、今までの恨みつらみが嘘のように消えて、夫に寄り添って看病をしよう、と決心していた。不思議なほど、迷いはなかった。病院はがん専門のTOPの病院に、手術は最先端の機器を揃えた手術例の多い病院にと、セカンドオピニオンを利用して、がん専門の病院へ転院した。何が何でも元通りの元気な身体になるまで夫を支えなくては!と、ともすれば、夫以上にいきり立っていた。二人の娘に助けられながら、ありとあらゆる努力を積み重ねたが、6か月の闘病生活もむなしく、夫はあっけなく旅立って行った。旅の相棒を失った悲しみの中、どれだけ泣いただろうか。

 

夫のお葬式を無事終えて、翌日に相続の話し合いの場が設けられ、なぜか行政書士さんが同席し、なぜかコピーの遺言書が存在し、わたしは何も知らされないまま、ただ、だまって話し合いの場に座っていた。

 

ホッチキスで止められた封筒が開けられ、遺言書のコピーとともに、一枚の紙が出現した。そう!「出現」という言葉がぴったりするほど、唐突に現れた紙きれだった。わたしの家の半分を夫が10年前にわたしから250万円で買っていたという、わたしの全く知らない、我が家の売買契約書だった。

 

突如、出現した売買契約書に愕然とし、わたしはその紙切れをひたすらに見つめることしかできなかった。こんな契約書がなぜ存在するのか、それ自体が信じられず、夫を信頼し、通帳も実印も全て夫に預けていたため、実印が悪用されていた。なぜ、最後の最後にこんな「裏切り」に合わなくてはいけなかったのか、理由も、訳もまるでわからなかった。

 

6か月間、寝る間も惜しんで闘病生活を支えた、あの日々は一体、何だったのだろう?

「君がいてくれて、本当によかった」とわたしをねぎらったあの言葉の数々は一体、何だったのだろうか?

20年間、わたしの家に住み続けた上に、わたしの家を半分盗るなんて、どうして、そんなひどいことができたのだろうか?

あまりにもやり切れなくて、あまりにも衝撃過ぎて、わたしは叫び出しそうな自分を抑えるのに必死だった。

 

この家は30年近く前、最初の夫が両親から譲り受けた40坪ほどの土地に、建物だけで920万円という、わたしの全財産をつぎ込んで建てた家だ。賞も取ったことのある設計士さんに依頼し、モデルルームに通い詰め、家具は全て造り付けにし、ひとつひとつの照明から壁紙、フローリングに至るまで全て自分の目で確かめて、こだわり抜いた家は長い年月の末、ようやく完成した。

 

そして、最初の夫が肝硬変で働けなくなり、自宅療養となり、収入がなくなった時も、わたしが時給1000円(日中)~1400円(夜)で昼夜パソコンインストラクターとして家計を支えた時も、夫と大学生の娘とわたしの3人が曲がりなりにも暮らすことができたのは、この家があったからだ。

 

肝硬変で自宅療養していた夫が亡くなった後も、二人の娘が巣立って行った後も、わたしは一人、この家を守ってきた。この家はわたしにとって、常にわたしの人生と共に存在する、かけがえのない「わたしの城」だった。

 

なぜ貯金もあり、お金に困っていないわたしが夫に家の半分を売らなくてはいけなかったのか? たかが250万程度のお金で、わたしの大切な城を売るなんてことはどう考えても絶対に(!)あり得ないことだった。

 

そもそも、わたしは自分の遺言書の中でもはっきり書いているが、駒沢の家は長女に、この家は次女に相続させると、事あるごとに娘たちにも夫にも告げていた。だから、次女に継がせるための家の半分を、夫に売るなんてことは絶対にあり得ないことだった!

 

わたしは身体をこわばらせたまま、売買契約書の日付を穴があくほど見つめていた。そして、頭の中で、「2014年は何があった年???」と必死でさまざまな記憶をたぐり寄せていた。

 

2014年の1月18日って、ひょっとして夫の家が売れた日?それとも翌日?

売買価格が250万円なのは、どういう意味? 250万???

ひょっとして250万円って、夫の家を何か月もかけて大掃除し、自らフローリングを敷いたり、壁紙を貼ったり、危険なベランダの錆びた鉄格子を電気ノコギリでカットしたり、と毎日、助っ人の生徒さんと二人で、朝から晩までホコリまみれで、自前リフォームに明け暮れた、そのお礼としてもらった250万のこと? そうか!、とようやく250万の出どころに気付いた。

 

物があふれ、掃除も行き届いていない古びた家を徹底的に大掃除をして、見栄えよく、自前リフォームをしたから、賃貸人が入ったんだよね?

賃貸人を紹介した、あのP不動産屋さんはわたしが見つけて交渉した不動産屋さんだったよね?

長く住んでいた賃貸人が退去した後、売買にこぎつけたのも、ご夫婦の買主さんがそのまま住めるから、と購入したんだよね?

250万円は在職中の夫に代わり、家の大掃除や自前リフォーム、賃貸や売買のための不動産屋さん巡りに奔走したわたしへのご褒美だったはず。

そのご褒美が売買契約書の250万円に化けたのは何故なんですか!!!!

 

ひょっとして、わたしは10年前からだまされていたということだったのだろうか?

思わず、「こんな契約書、わたし、知りませんから!」と相続の話し合いの場で叫んでいた。翌朝、わたしは弁護士さんに助けを求める電話をかけていた。


「妻の家を盗る」…夫は自身が亡くなった後に、わたしの家の売買契約書をわたしに突き付ける、という卑劣な手段を取った。まるで何も知らず、夫を亡くした悲しみに沈んでいたわたしを、この一枚の紙切れは一撃で蹴散らしたのだった。

 

元銀行支店長だった夫がなぜ「妻の家を盗る」などという卑劣な行動に出たのか、わたしは今、わたしの残りの人生を賭けて、柔和な顔の裏に隠された「もうひとつの顏」を暴き出そうとしている。