今年最後のブログ | 五右衛門風呂って気持ちよかー

五右衛門風呂って気持ちよかー

昔懐かしい五右衛門風呂。その五右衛門風呂に関する色々な情報をご提供できればと思っております。

今年も残す所、あと3日となった。


例年の12月と違い、今年は寒さが本当に厳しく、個人的には1月中旬以降位の寒さの様な感じがしている。



そんな中、書こうかどうか迷ったが、 ”自分の気持ちの整理” と ”今の気持ちを忘れないため” に今日のブログを書く事にした。




私的な事なのだが、実はお袋が12月22日朝亡くなり、昨日初七日を済ませた。




今年の春、突然の血尿により医療機関を受診、尿管癌との診断を受けた。


受診時には既に片方の腎臓は機能していなかったものの、尿管癌自体も年単位?の長い期間を経て現状に至ったとの医師の説明だった。



転移もあり手術は既にできない状態だったが、本人は痛み等の自覚症状もなく、上記長期間でそうなったのであれば、全身への抗ガン剤の投与は避け、ちょうど姪が自宅近くの大きな病院に4月より勤務した事もあり、その病院で経過観察する事とした。




その後1カ月毎に検査していたが、若干ガンの大きさが大きくなる程度でそう問題もなく進んでいた。


ところが、10月位から急に容体が悪くなり、入院。


ガンも急速に大きくなり、12月に入ってからは極端に弱っていった。




12月中旬一時帰宅の許可が出て、1日だけ自宅に連れて帰った。


人の手を取らす事を極端に嫌がる性格のため、頑なに帰宅を拒んだそうだが、何とか説得し一時帰宅。



その際は意識も少し朦朧としていたが、帰宅した事は分かっており、何時もよりいくらか多めに食べ物を食べた事から本人的にはやはり嬉しかったのだろう。




病院勤務の姪と、その妹も看護士の卵のため、2人でお袋のオムツも交換してくれた事には本当に感謝している。



でも、翌日病院へ戻る際、皆で体を抱えようとするとお袋が、病院に戻る事を理解しておらず、


「どこに行くの?」 との質問には返答できなかった・・・・・




12月中旬以降はほとんど食べ物も食べれなくなり、最終的には他院に12/20転院。


延命治療ではないが、点滴を長期に渡り取り外さないで済む、太ももから挿入するものに変更する事にした。



転院した12/20夜はあまり容体は芳しくない感じがしたが、12/21夜見舞いに行くと、意識ははっきりしており、機嫌も良く、長男家族、自分の家族にも



「(家に)早く帰らんば。」 


「早く帰らんば。」



自分の事はそっちのけで、こちらを気遣いそう繰り返していた(入院中ずっとだが)。


これは身内に限った事ではなく、今までも、常に自分より人を優先していた。



長男家族が先に病院に見舞いに来ていたので、お袋の機嫌も良いし、一足先に帰宅してもらい、面会時間の最後の10分程度を自分の家族と過ごした。



前日もそうだったが、水を飲みたがった。


病院側より気道に入る危険性があるため、制止されていたので、



「ごめん。のどにつっかかる危険があるからね。」 と言って諭した。



が、今思えば、せめて唇くらい湿らせてやる配慮がなぜできなかったのか?


その事だけは今になって後悔している。



いよいよ面会時間の終了も迫り、 「早く帰らんば。」 を繰り返すので、



「また来るから。」 


と手を振りながら、いったんベットから離れ、ふと振り返るとお袋と目が合ったので手を振った。


そして、それが生きたお袋を見た最後となった。



後で病院の看護師さんに聞いた話によると、21日に我々家族が帰った後、


「寂しい。」 とその看護師さんに漏らしたらしく、しばらく話をしてくれたという事を聞いた。



死期が迫る中、本当に最後の最後まで、皆を気遣い強がっていたのだろう。





お袋! 今まで本当にありがとう!



”自分より人” という姿勢を生涯貫いた、お袋の生き様を胸に刻み生きていきます。