いつも、勉強についての独善的アドバイスばかりしているので、今回は自分のことを書きたいと思います。いつも言っていることと整合性がとれているか検証していきます。

 

幼少時は、小1の1学期に母親に少し宿題を見てもらっていた以は、親に勉強を教えてもらったり勉強しなさい、と言われたことは一度もありませんでした。ただ、今考えると母親が小中の教師で考えた上で放任されていたかなとは思います。公文は1回体験に行って簡単な計算を繰り返しやるのが嫌だな、と思っていたら通うことにならなかったし、試しに受けた中受の模試で偏差値40だった時に中受をさせない選択をしてくれて、無理に勉強させられなかったのは感謝しています。勉強は宿題しかしていなかったけど学校の勉強はできて、教科書は配られて読んで全部分かるし、何で簡単なことを1時間や1年かけてやるんだろう?と不思議に思ってました。一方、小1から女の子遊び(シルバニア、リカちゃん)がつまらなくて小4から話があわなくなり浮いていました。でも当時、雑誌のペンパル募集で知り合った日本全国の子15人位と同時に文通を2~3年していて、いろんな話をしていました。周囲との関係構築に悩みつつ、学級委員や児童会やこてき隊の部長はやっていて(でも授業中に手を挙げて発表するのは苦手)リーダー的立ち位置にいました。また正義感が強く、小5、6年の担任の先生(あなただったら東大に行けると一度だけ言われた)に「ひいき反対運動」を起こしてクラスの子から署名を集めて学級会で先生にいきなり抗議(先生には「差別でなく区別です」と反論され負ける)したり、いじめられている子と仲良くしたり、いじめている子を先生に言いつけたりしていました。あとは、ませていて小6の秋に両想いの子ができて、もう1組のカップルと4人で交換日記をしてこっそり学校で交換したり、バレンタインにチョコをあげたりしてました。

 

勉強は学校の勉強はできるけど、割合や速さは苦手だったし、理科の天文の授業は首を傾げながら聞いていて、中受の試験は□1の計算すら解けないレベルでした。ただ、分からないことがあると一人で長時間悩んで考たり、自由研究を知識がなくて親の援助もない状態で自力でなんとかやろうとする純粋な生真面目さがありました。

 

勉強以外では、手先が器用でミシンを使っていろいろ作ったり編み物したり、習い事はピアノ、スイミング、習字、小5の冬から近所の塾に通い、学校では鼓笛隊、水泳部に入ってました。遊びは一人で公園に行って繰り返し滑り台を滑ったり、ホッピングとかローラースケートを自分で技の課題を設定して毎日少しずつレベルを上げてやっていました。あと、放課後に学校の階段で1人で踊り場から踊り場まで飛ぶのに挑戦したり、今考えるとこれらは発達障害の子ども独特の遊び方だったと思います。

本は読んでいませんが、世界・日本文学全集は家にあったので読んで、毎月なかよしとりぼんを買って10回ずつ繰り返し読んでました。読書はしないけど、作文は論文調で読書感想文は小6で学校代表に選ばれました。

 

中学受験はしてないので、勉強についてみなさん(特に子育て中)に役立ちそうなことはあまりなかったかもしれません。でも、中高はガリ勉に転向するのですが、そこでの勉強方法はいろいろ語れると思います。またおいおい書きます。