先代藤間勘太郎
二代目藤間藤太郎


 歌舞伎の世界で、藤間藤太郎なんて今はおりゃせんやね。

 話は明治、大正、昭和にさかのぼる古い話でござんす

 藤間藤太郎、私の叔父さんつまり叔母さん(赤阪の芸者さんであって後に待合いをやっていた)の旦那さんで


いい男だったそうです。

 会った事もない見た事も無いんですよ。

 でも写真が一枚残っているそうでそれは今度見せてもらいます。

 その叔父さんは、わが下高井のお寺にわが小林家のお墓に眠っております。

 何で歌舞伎界に名前を見ないかと申しますと役者より日本舞踊が滅法上手くて、踊りの方に転向しちまったそうです。

 残念ながらそれぐらいしか藤間藤太郎の事は知りません。

 なにかの手立てで調べてみたいんですが、時代が古すぎて、わかりやしませんやね。

 彼が役者だったからって私が役者になったりとはまったく関係ありませんがね。

 で、二代目藤間藤太郎を継いだのが、私の姪でござんす。

 今や日本舞踊界の重鎮で数々の最高の賞を受賞してるんでござんす。私の姉、初代藤間勘太郎の娘になります。

 姉藤間勘太郎も知る人ぞ知る日本舞踊の名手でお弟子さんは、歌舞伎界の御曹司、芸者さん、女優さん、昔松竹社長城戸四郎氏の娘さんとか、お弟子筋は良かったんでやんす。

 二代目藤間藤太郎も、やはり歌舞伎界とか著名な女流作家、女流漫画家。女流デザイナー女優さんとお弟子さんには恵まれているのでございます。

 国立劇場で藤太郎の会なんぞも催して、尾上菊之丞さんや愛之助さんと歌舞伎界の方々とも踊っているのでございます。

 おまけに四十九回文化庁芸術祭賞他更に平成24年春の叙勲で旭日小授章迄貰うとは。

 授賞記念の会を帝国ホテルで行うのには私も出席しやした。

 もと歌舞伎役者だった、世間に知られず、忘れ  られていった先代の藤間藤太郎が草場の陰で一番喜んでおりやすと思うんでござんす。

 ちなみにあっしも藤間勘太郎と二代目藤太郎に日本舞踊を教わり(筋がいいと言われたのに役者に集中したんでやんすが)義兄の常磐津幹五郎に常磐津を学んだんでござんす。

 まだ柳が赤阪見附の粋なただずまいに色そえた稽古場に通いましたんでござんす。

 初代藤間藤太郎のつれあいの叔母のお葬式は当時赤坂見附中大騒ぎだったそうです。

 むかしの事らしいからなんざんすかね。

 最近初代藤間藤太郎の事が少しわかりました。

 作家の神山彰さんから初代藤間藤太郎のことを指摘されました。有難うございます。はっきりしました。謎が解けました。

 初代藤間藤太郎は七世幸四郎門下で勘右衛門と言う名前で昭和2年1月37才で没とあり、その日にち合致する1月31日に私の下高井のかわいいお寺さんのお墓に入っております。

 写真を見たら確かにいい男で私の叔母さんの旦那さんだったのです。粋な赤坂見附で粋な叔母さんと結婚したんですね。

 歌舞伎役者から日本舞踊家となり伝統である日本舞踊に生命をかけて37才で天国に召されました。

 今になってわかったのは私の姉のお葬式に白鴎夫妻がいらしたのもうなずけました。