タイミングずれましたが | sgtのブログ

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歌うことが好きです。コロナ禍で一度はしぼみかけた合唱への熱が''22年〜むしろ強まっています。クラシック音楽を遅まきながら学び始める一方、嵐の曲はいまも大好きです。


世はすっかりuntitledな空気の中、後手後手のタイミングではありますが、
時系列ではフラゲより先に起きたことを
まず記事にしておこうと思います。


月曜日のこと、
素敵なおくさまの有能な執事さんが
「今夜のZEROは櫻井翔さんによる草間彌生さんインタビュー」
と 教えてくださったので、
これはよいこと聞いた♡と楽しみに視聴しました。


そこで、ちょっとワタシ的にグッときた草間さんの言葉をここに取っておきます。







「水玉は1つでなく 2つでなく
4つ5つでもって成り立っていて
世界が水玉にいるような
そういった平和になってくれたら非常にいいな」


マル1個2個では水玉とは言えない
複数のマル…最少でも4つ5つが、お互いを邪魔しないような程よい距離感で共存して初めて「水玉」という模様は成立する


草間さんが「5つ」と挙げたことにも地味〜に喜んでるしょーもない私ですが
嵐さんの在りようはまさにそんな感じだなぁ と思いましたし それと同時に
平和はひとりでは作れない
ということも重く響いてきたのです


ひとりひとりの人が
自分というマルをだいじにだいじに
きれいに磨きたてることよりも
自分はいま居る場所の 世界の
水玉の一つである と自覚することが
だいじなのではないか


草間さんの作品の中で 
ひとつひとつ手で描かれた無数のマルたちは
大きさも不揃いだし そもそも真円ではない
でもそれはヒトという生き物の個体差のようなもので
それらの総体である「水玉」は
他者を尊重する理性が バランス良く保たれた状態を最もわかりやすい形で表したものなのかもしれない


今さらベタな感想ですが
草間さんの 迷いのないまっすぐな口調で語りかけられて
改めてはっとさせられました


今年の春に国立新美術館で行われた草間彌生さんの個展
あれに行こうかどうしようか ずいぶんためらいました
というのも実は私
草間さんの作品はどうもおどろおどろしく思えて あまり好きではなかった
いや ぶっちゃけ苦手だったのです
(チャリTシャツのお花は可愛いと思えたけれど)


先に観てきた「ミュシャ展」と2枚セットのチケットを買ったから、という かなり消極的な理由で
会期終了間際にやっとこさ会場を訪れたのでした
でもそこで草間さんの肉声による音声ガイドを聴き
彼女の物語る解説(時には自作の歌まで飛び出す!)に ある意味 作品そのものよりも心を惹かれて
草間彌生というひとを好きになることができ 来てよかったと思いました
(声フェチの性癖がモロバレですな)


あの 私にはちょっと毒々しく見える特有の色使いも
草間さんの創作意欲の源である「平和への希い」を全身全霊で表現した結果 と考えるといとおしく感じたりして


だから草間さんの声に
ことさら反応したのかもしれません


…なんか長くなってしまいました


「目玉もみな私の人生の発露」
という言葉も おもしろいなぁと思ったけれど
草間さんいわく 水玉も目玉も意味することは同じだそうで
(並べて書いてみて初めて気づいた!どちらも『玉』なのか!)
わざわざ別個に考えるのはかえって不粋なのかもしれません
(水玉と目、というと別モノっぽいけど 水玉と目玉、なら仲間っぽい…おもろい)







毎度のへりくつ記事で失礼しました。
つかれちゃったらuntitledに癒やしてもらってくださいね←