今日まで許して | sgtのブログ

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歌うことが好きです。コロナ禍で一度はしぼみかけた合唱への熱が''22年〜むしろ強まっています。クラシック音楽を遅まきながら学び始める一方、嵐の曲はいまも大好きです。


いちれつらんぱんはれつして
にちろせんそうがはじまった
さっさとにげるはロシアのへい
しんでもつくすはにほんのへい
ごまんのへいをひきつれて
ろくにんのこしてみなごろし
しちがつようかのたたかいは
ハルピンまでもせめよせて
クロバトキンのくぴをとり
とうごうたいしょうばんばんざい









いきなり読みにくくて申し訳ありません。が、
これ漢字付きで書くとなかなか物騒なので、かな書きにいたしました。


これは戦前生まれの母が、お手玉やまりつきをするときに歌っていたという数え唄です。
母が歌っているそのままで書いています。


いちれつらんぱんは「一月談判」の、
クロバトキンは「クロポトキン」の、
それぞれ誤りであろうなどの話は、今日のところは置いとかせてください。


取り挙げたいのは3と4のとこ、
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも尽くすは日本の兵
この部分です。結局漢字付き。ここなら大丈夫かと。


あくまで想像ですが、私の母を含む当時の子どもたちは、この詞を口ずさむとき ある種の誇らしさを感じていたのではないかと思います。


「さっさと逃げる」という言葉に漂う侮蔑的な空気と、「死んでも」つまり命を賭して国に「尽くす」ことへの賛美。
たった2行の言葉で異邦人をおとしめ、日本人を讃えている。


しかもそれがわらべ歌の形で…お国のためなら命を惜しまずという考え方が、幼いときから美徳として日本人の心に刷り込まれている、と感じます。











そうして培われた「忠君愛国の精神」の行き着く先が、


11%


なのだとしたら。


上記の数字は、先日放映された番組で観た「特攻飛行機の予想命中率」です。


もう10日以上も前に知ったこの数字の衝撃からいつまでも立ち直れずにいます。


多くの若者の命を奪った特攻(それも飛行機のみ)は、ほんの1割程度しか敵に当たらないだろうと、あらかじめ見積もられていたというのです。


舟艇などによる海上の特攻はもっと過酷と聞きますから、もし命中率なるものが試算されていたとしても、おそらく発表できないのではと思います。











天災や事故、そして空襲など、逆らうことのできない災厄によって命を落とした人は一般に「犠牲者」と呼ばれます。
一方、戦闘で失われた命を「尊い犠牲」という人がいます。


ひと口に「犠牲」と言っても、この両者には大きな隔たりがあると思うのです。


上記の「犠牲者」を英語で表すとしたら、
victim
が妥当かと思いますが、後者の戦闘による死亡者にはどうも
sacrifice(生贄)
の意味が含まれているように思えてなりません。「英霊」もそっちっぽい。


あえて誤解を恐れずに言いますが、


戦争で落命することは尊いのでしょうか?


尊いのはあくまでも命であって、死ではなかったはず。


だからといって「特攻など狂気の沙汰だ」なんて絶対に言いません。
特攻隊員が「英雄になれる喜び」に陶酔しながら死んでいったなんて、いまどき誰が信じます?
そんなものは、避けられない死を受け容れ、自らを奮い立たせるための方便だったことくらい、大人ならみんなわかりますよ?


検閲のせいで、手紙に本心を綴ることすら許されなかったのだし。


いったい、


「命をも捧げる」という気高い忠義の精神がいつの間に、死ぬことこそが愛国の証、と話がすり替わったのは、


命を差し出さない者は非国民とさげすまれ、郷里の家族までもがそしりを受ける…だから進んで手を挙げて死にに行くしかない、そんな状況に人を追い込んだのは、


「士気が下がる」として真実は覆い隠され、偽りの情報で大衆を麻薬的に鼓舞したのは、


なんのためだったんだろう。
そうまでして何を守ったんだろう。
「生贄」は何に捧げられたんだろう。









質・量ともに圧倒的で勝ち目のない無謀な戦いを、避ける、あるいは途中で止める…せめて原爆投下の前に、沖縄戦の前に、本土に空襲を受ける前に、そして特攻を含む総力戦に踏み切る前に…そんな智恵のある大人たちが少な過ぎた。


それが大量の「犠牲者」を出す結果を招いた。


肥大化した国の体面よりも、ひとの命を守ることに早く舵を切っていれば、多くの死を防ぎ得たろうに。


過ぎたことを嘆いてもせんないこととは知りつつ、戦争を思うたびに怒りがふつふつ沸きだしてしまいます。









忘れちゃいけないのは神々しく美化された死ではなく、
死を強制された人の無念と、恐怖と、理不尽。そしてその人たちが生きて抱いていたそれぞれの思い。


そんなように思います。


ところで、


現代の日本人が「戦争を忘れない」ためにできる行動って…ちゃんと投票して、為政者を再び戦争に向かわせないよう見張り続けること、でしょうか…頼りないけど。


でも原発再稼働とか辺野古の海を埋め立てようとする動きとか、なぜそうするのかが見えないままなぜかどんどん進行していることは今だってたくさんあるわけで。


「戦争を止められなかった大人」の一人にだけはなりたくない、けど、


大丈夫かなあ、自分。


























あ゛ーーーーー〈(_ _;)〉


自分が「ブログ」つーものを書くとどうしてこうなるんだろう。


いくら8月15日だからって。


暑苦しいだけの話に付き合わせてしまい、申し訳ありません。


今後は自重します。
ここまで読んでくださってありがとうございました。