あおい目が見てた 12 | sgtのブログ

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歌うことが好きです。コロナ禍で一度はしぼみかけた合唱への熱が''22年〜むしろ強まっています。クラシック音楽を遅まきながら学び始める一方、嵐の曲はいまも大好きです。


留学の手続きはこんなにも手間がかかるものかと初めて知った。

1年間だけとはいえ、未成年のひとりの学生が母国以外の国に住むために、明らかにしなければならない身分や滞在先の確約、金銭的保証など、いろんな大人の手を介さなければ事が進まない。

公的機関も関わっている大きなプログラムだったので、当然学校にもこの報らせは届いていて、週明けから早速 休学への段取りが始まった。

休学後、復学するときに学年がひとつ下になるかもしれないと聞いたとき、一宮と一緒に卒業できない自分を想像してちょっと気分が落ちたが、おれという無位無冠の一学生に投資してくれる人たちのことを思うとわがままは言っていられない。

努力次第で元の学年に戻ることもあり得るという。それなら努力するのみだ。

いろんな雑事に追われるうちに、おれにとって重く苦しかったはずの6月はいつの間にか過ぎていった。









輔の命日に元気のない一宮の姿を見たとき、もし彼が去ってしまったらどうしよう、と居ても立ってもいられなくなったのを思い出す。

しかし今度は逆におれが、自らの意思で一宮のもとを去ろうとしている。

彼はそれをどう思うだろう。

あの日以降おれたちは長い話をしなくなった。

と言っても関係が悪くなったとは感じていない。

一宮はいよいよ真剣に部活に取り組み、教室にとどまる時間が減った。

再び席替えがあって今は席が離れているが、それでもたまに目が合うとお互いに頷いたり軽く手を上げたりと何か合図を送る。

一宮の目がいきいきと輝きを増すの見ているとこちらまで清々しい気分になる。

彼の時間が充実していると感じられるのはおれにとっても幸せな瞬間だ。

そこにおれの事情で水を差すのはもったいない気がして、またおれ自身もゆっくりと時間を取れなくて、留学のことを話すタイミングを逃し続けていた。

ふと、野田紗希子はどうしているだろうと思い出した。

先生たちの対応ぶりから、今回うちの学校からこの選考に通ったのはおれ一人であることが次第にわかってきた。

野田にとっては残念なことだろうが、でもこれで一宮に対して行動を起こす時間はできたわけで、

彼女がどう動くかちょっと興味があった。









「あ、市原くん」


夏休みが近づいたある日、以前奇妙な告白を受けたあの渡り廊下で野田とすれ違った。


「…このたびはおめでとう」


すっと近づいてきて小声で言った。

ありがとう、と返すそばから、


「ところで、二人大丈夫なの?」


「大丈夫って何が?」


「巷では王子と姫の不仲説が流れてるから」


あんなに日に焼けてるのに「姫」と呼ばれる一宮が気の毒。


「不仲って、お互い忙しくて最近話してないだけで…って、お前が王子ネタに乗っかってどうする」


「そうだよねー。そうなんだけど…」


「今度、試合観に行けば?

日曜の午後らしいぞ。場所はちょっと忘れたけど。

あいつ補欠らしいから出番はないけど、お前はサッカーがわかるんだから、話題づくりにはなるだろうし」


「そっか、まだ補欠なんだ…悔しいだろうなぁ、巧いのに」


「そういう風にプレイヤーとしての気持ちもわかるんだから、なおいいじゃないか」
 

「…市原くん、もしかして私をけしかけて楽しもうとしてない?」


「楽しもうなんて人聞き悪いな。

これでも応援してるんだ。

おれはもうじきあいつを見ていられなくなるし」


「ハイハイ、さようでございますか。

でも後を託されても、王子の代わりなんて私にはとても務まりませんよーだ」


歯切れよく喋る割には、一宮のこととなると及び腰になるのは相変わらずだ。

それより私の分も向こうで頑張ってきてよね、と背中を叩かれた後で、

少し離れてから、声が飛んできた。


「やっぱり、試合、観に行くー。

教えてくれてありがとー」









その日の帰り道に一宮に会えた。

大声でおれを呼び、駆けてきた一宮の顔は、これまで見た中で一番晴れやかな表情だった。

試しとはいえ、控えメンバー入りを果たしたことを嬉しそうに話す一宮を見ていると、何かを達成するっていいな、と羨ましくなった。

試合会場で野田も驚くだろうな。

そう思うと余計に嬉しくなった。

もう今しかない、と思い、ついに留学のことを一宮に打ち明けると、

さっきまでとは一変して呆然とする一宮に、申し訳ないと思う一方でちょっと嬉しくもなった。

一宮の心がまだおれに向いていたことに。

だけどお互いもう、仲良くじゃれあっているだけではいられないのだ。

それは一宮もわかっているようだった。

これからのことに思いを巡らせ、それを受け止めようとする彼の姿は、おれの選択を後押ししてくれているように、おれには思えた。

離ればなれになる淋しさは我慢しよう、と言ってくれているのだと。

次に大きく跳びあがるための助走の期間を、思いがけず一宮と一緒に過ごせたのは本当に幸運だった。

おれは絶対にここに、彼のところに帰って来よう。

そしてさっきの、おれを追いかけてきたときの彼みたいな顔して、再会できたなら最高だ…おれの中にもうひとつ目標ができた。