こんにちは!!厨二病をこじらせたまま大人になった

アラファトで御座います。汗


最近、友人と話しておりますと、(数は少ないのですが、

付き合いが長いので御座います。)まぁ、気ままに

独身生活を謳歌しているものから、乳児~社会人の子供を

持つ友人など様々で御座います。


小さい子供を持つ友人と話す機会がありますと、

色々と自分の娘の赤ん坊時代を思い出す事もしばしば。


ギネの経験が長かったので、幸い新生児の扱いは慣れて

おりましたのと、看護師という不規則な勤務のおかげか、

夜、何時に寝て、朝何時に起きるという生活でもなく、

睡眠不足で大変・・・とか、あんまり感じることなく過ごせたのは

幸いしていたのですがね・・・・しかし


産まれて、数週間、数か月経ってくると

当然、新生児期のように、おむつ交換と授乳と沐浴したら・・・・

数時間寝てくれるというサイクルではなく、眼も見えてくるので、

もちろん感情の発芽のような事が起こり始めるのです。


私が困った事、そう・・・子守唄ってありますよね?

あれ・・・ほとんど知らなくてドーン・・・・ねんねんころりは、

「坊や良い子」って歌詞だから・・・女子向けじゃないし・・・

「とおりゃんせ」は、歌詞がちょっと・・・怖いような・・。

他の童謡系も最後まで歌詞を覚えているのも殆ど無いし。


それが、すごく母親失格orz

みたいな気分になって、結局、なるべく、スローな感じの

ペースで、マービンゲイやらダイアナロスやらアレサフランクリン

などの鉄板R&Bを唄ったりしていたわけです。


しかし・・・元夫は7人兄弟の長男だったので、まあ、それはそれは、

自然に子守唄が出てきて唄うのですが、残念黒人の彼は、

それはそれは・・・・音痴ほろりなのですよ・・・・。なので、原曲が

どんなメロディーか・・・とても怪しいのですがペコ娘はその曲が

お気に入りだったわけです。

(後日、ほぼメロディーは、正解だったことを知る)


その曲名「 Five Little Ducks went out one day

(YOUTUBEで、上記の曲名で検索して聴けますよ!)

歌詞の中でQUACK・QUACK・QUACK・QUACKっていう部分が

大のお気に入りで、喜んで4~5歳くらいまで寝る前の定番曲

だったわけです。しかし・・・・5羽のアヒルのはずなのに、

赤ん坊の頃は、10羽だったり、20羽だったりに変えて、

歌を長引かせたものです。泣

そんな事を思い出していた折り「とおりゃんせ」の歌詞の部分で、

行きはよいよい・・・帰りはこわい・・・♪ってあるじゃないですか!


北海道弁って、疲れたことを「コワイ」って言うんですよ。


私は子供心に、行くときは楽しいけど、帰りは歩かされて

ヘトヘトになる遠足の帰りのような感じで、その「怖い」という

本来の意味ではなく、疲れたと思っていたんだよなぁ、かなり

成長するまで・・。おぉ!・・・まあ巨人の星の主題歌を

思い込んだら試練の道を♪を・・・重いコンダラと勘違いしたり、
(考えるほどにおバカな子供だったなぁ。)そんな事考えながら

そういった勘違いまだ、きっとこんな私だからあるんだろうなぁ。





何だか急に暑くなったり、寒くなったり・・・もともと頭痛持ちの私には、

この気候の変化は、とてもしんどいなぁ・・・・。


しかも・・・娘はと言いますと・・・・。

やはり、この時期のホルモンバランスと、学校でのストレス、

高2なりまして、理系クラスを選択したのですが、

それを期にクラス替えがあり、卒業まで変わらない。


このクラスのメンバーがどうも彼女の性に合わないのか?

修学旅行も、目前で・・・(修学旅行行きたくないとか言ってるし泣


しかも先日、定期テストも終わり、

何だか彼女の中でくすぶっていた爆弾のようなものが、

一気に爆発・・・その後、活火山のような?くするぶる火種が、

気持ち中で残っているかのような・・・・まぁ何とも不安定な状態で。


もうすぐ17歳の娘、きっと頭ではわかっているのでしょうが、

衝動にも似た怒りのようなイライラのはけ口というのか?

自己処理できる方法も、私に対しての不満としてしか

ぶつけられない(処理できない)のだということも、

私自身わかってはいるのですが、結局彼女自身の内面の

問題なわけで、誰にぶつけたって処理なんて出来るもんじゃない。


やっぱり、若さ>体力>越えられない壁>(時代)年齢の差

そうは思っても理解したいし、少しでも楽な気持ちに

してあげたいのだけど、上記の通りなかなか出来ない。


彼女が中学時代、大人達から高校・大学時代の友人は、

一生付き合っていく友達がばかりだよ・・・とか、

かなり、人間関係に夢を持っていたために・・・余計に

落胆したのだろうと思う。


私が17歳の時の環境と彼女の環境では、全然違うのだけど、

私が、彼女と同じ年の頃は、周りの先輩や友人に

随分助けられたと思う。親、兄弟に頼れる環境ではなかったし。


でも、その代わりというか、それ以上に精神的に支えてくれた

人たちが周りにいたことは、幸運だったんだと思うとともに、

当たり前では決してないんだよね。

今思うと、ありがたかったと思うのと同時に、社会生活での

人間関係も教わったと思う。


もちろん、親切な人ばかりじゃないし、親しくしていても

裏切られる事だって沢山あったけど、それでも必ず、

支えてくれる人は、いつの間にか傍にいたことに

気付かされたり・・・・。今考えると、不思議なもんだよね。


彼女にもっと広い世界を見せてあげたいんだけど、

今の彼女にその余裕と、受け入れる、心に沁みてくれる

そんな状況ではないんだよなぁ・・・ほろり


もう少し、私自身が頑張らないといけないね。

娘と私の関係っていうのが、男女の恋愛と似てましてw


突き放すと、すり寄ってくる、甘える、すねる泣

逆にこっちが、娘にすり寄ると、ウザがられ・・・無視され、

しまいには、コッチ来るな悔し泣き!!とか・・・・。


うまくいってるときは、案外何もない平凡な一日です。


そう・・・平凡な何もない一日が幸せなんですよね。たぶん。








面白い動画をニコニコで見つけまして、魅入ってしまいした。


何ということない、昔のニュース1984年~1986年までの

ニュースダイジェストみたいなものです。


いやぁ・・・笑ってしまいました。もちろん。

だってさぁ・・・お題・・・。


その1 一票の格差は、憲法違反である。最高裁で判例でましたが、

     結局変わってません。


その2 国会議員の定数の削減を柱とする、内閣改造ww

     変わってません。


その3 チェルノブイリ原発事故・・・それに伴い福島第2原発での

     緊急対策訓練の映像。  皮肉としか言えません。


その他、数えきれないほどの人を馬鹿にしたようなニュースの数々、


そして・・・今この2014年議論されつつあるのが・・・死亡消費税って、

しかも、年金だってもらうまで生きていられる人が何%なのか?

正直、数字を出してもらいたいもんだ!


だって、得意でしょ・・・諸外国では・・・とか色んな統計のトリックw

出生率だって、お年寄りの数だって、統計出せるんなら、

そっちの統計も出してもらいたいもんだ。


それにしても・・・福島の原発・・・最近ニュースに出る機会が減りましたが、

チェルノブイリの時も他国が、観測して異常な線量が出たので、

自国の原発か?と思いきや!なんと!隣国のロシアだったと。

てなことで、ロシア当局は隠せなくなり、

事故後14日目にして、はじめての書記長の会見だった。


そして、我が国日本!!

諸外国で、観測したところ・・・今回の福島の件では、チェルノブイリの

1.8倍の線量を観測したとのこと。


マンガの描写に文句言う前に、もっと何とかしろよ!!

それとも・・・誰かの懐が豊かにならないと、出来ないのか?


東海村事故の際、国は代理人に

あなた達でやらなければ強制作業命令を出した後に、結果的にする事になる

とか、言っていたよね?国のお偉いさんたち・・・。


もちろん、事故の処理はしなければならないが、福島との対応の格差に

何だかモヤモヤするのは、私だけだろうか?

やっと少し生活を取り戻しつつあった矢先だったんだが・・・。


前から約束をしていた友人との約束を果たそうと連絡を

とろうと思っていたのだが・・・・


セナの肺がんのほほん日記  彼女と会おうねって、

約束してたんだ・・・。だけど・・・遅かった。

逝ってしまった。 ただただ寂しい、病気と闘っていた時の事、

時々不安になって、連絡してきてくれたこと、

色々思い出される。


ほんと!やっと再婚してさ、孫も産まれてさ、頑張り屋さんで、

思いやりがあって、幸せにならなきゃダメな人なんだよ。

早すぎるよ。看護が大好きで、仕事してても学ぶ姿勢は変わらなくて、

人としてもお手本のような人なんだよ。


闘病生活頑張っていたから、お疲れ様、寂しいけどあなたと出会えて

良かった、ありがとう・・・・。眼をつむると、彼女の声がハッキリ聞こえる。

いつも二人で言っていたこと、

「笑っていようね。笑ってガン細胞減らそうね。

笑って免疫増やして、楽しい日増やそうね。」そうやって、

電話越しにお互いに笑いあってたこと、思い出します。


最近思うのだけど、若い時はこんにちは!はじめまして!の時代で、

私のような年代になると、お疲れ様、さようなら・・・そういう機会が

増える年代なんだなぁって。


娘を見ていて、接していて思う。


こんな時代なんだけど、5年後10年後なんとなくではあるのだけど、

娘は、未来を想像しながら生きているんだけど、


私の未来像は、同じ未来ではあるけれど、楽しいものというより、

人生の清算ともいうべきか、どういう生き様を娘に伝えるか、

どう、生きるべきなのか?・・・・・うまく説明できないけど、

人にどう思われても構わないけど、娘に私が母親で良かったって、

心から思ってもらえるような、そんな生き方をしていけたら

幸せなのかなぁと、最近つくづく考えるようになった。


私は、父や父方の祖父・・・この人たちの身内でいられたことが

とてもありがたかったこと、大好きだったことを本当に

心の底から感謝している。

腹膜炎で入院してました。
初診で、搬送された病院が糞過ぎで
殺されかけました、こちらで
まともな病院へ行きましたよ♪

パンペリだったら、この病院で
あの世行きですわ。
もう少し元気になったら、
初診の病院に、お礼参りをしますわ。
こんな病院に、知らずにかかって被害が
増えないように、一生懸命頑張っている
まともな、医療従事者にも大迷惑だと、
そう感じた出来事であった。