なんとなく怠惰な生活を送っていたためか・・・

または、疲労のための思考停止状態と、雑事に

追われ、時間の無さのための何も出来なかった。


今、本当に心配なのは、子供の将来と自分の老後だ。

娘も私も不登校経験者、一般的には負のスパイラルとか

多数派の人々は思うだろう。


しかし、娘の考えはすべてとは言わないまでも

理解してるし、私の当時の心情は自身に起きた事で、

もちろん理解している。


今のこのご時世、憲法の改正だの、この時期に発覚した

猪瀬知事の贈収賄の辞任。実にキナ臭い。


今のこの現状・・・もちろん、増税を含めた国を

建て直すための政策など、様々な議論がされているが、

私は、そんなものより未来に繋げるための政策は、

教育以外にしかないと思う。


この数十年、どれだけの教育の改革がされてきただろう?

何も変わっていないどころか、改悪されているとしか思えない。


もちろん、私の時代の場合、不登校の場合1年間に88日

休むと留年という形になっていた。


私の場合、学校に行き職員室に直行、そして、遅刻、早退

扱いのため、実質在校時間は、3分ほどだ。

最高で86日休んだ時は、風邪を引かないよう努力?したかな?


だが、娘の場合は、一日も登校しなくても自動的に進級した。

これには、娘の場合には良かったことだが、すべての

子供にとって、よい事かどうかは、私にはわからない。


しかし、私の時代には、内臓疾患などの病気で留年した子供が、

再登校しても差別的な事はなかったり、心ある教員がフォロー

していたのを見てきた。だが、単に不登校、登校拒否の場合、

再登校するというのは、とても少なく、また除籍という制度があり、

所謂、中学中退という処分があったわけだ。


あの時代の不登校、登校拒否は、不良、非行少年、

虞犯(犯罪を犯す可能性の高い)少年とほぼ

同じ扱いだったのである。


それに比べたら、私たちのような先人がいたからこそ、

不登校であっても卒業証書はもらえるというシステムが

というか、選択肢が出来たという点では、評価したいと思う。


時代の進化に伴った、ネットなどの普及によって、

教員側の怠慢や不祥事も明らかになり、それを問題視する姿勢より

隠ぺいや保護者が手を出させないようなシステムを身内で作り上げたり、

もちろん、モンスターペアレントの存在があることも否定しない、

だが、正論を言うこと、正当な抗議をすること、正当な子供の権利を

行使しようとする姿勢までもが、メディアを含め

操作されていたように思う。


本来の意味での、自分が考える力、他者を尊重すること、

個人の人格の尊重、それらはどうなった?


今、本当の教育をしないと、自殺者の増加、貧困、食糧の危機、

考えられる悲惨な状況は悪化すると私は考える。


私は思う。世界を救うのは、オタクである(ワラ)

学校の成績などで、言うならば・・・・

一つの事に、秀でた人間より、平均をとれる人が重宝されるのは、

子供時代に必要なことなのか?


最終的に突き詰めた人というのは、すべてに通じることを知っている。


だから・・・その時に本来の物事を理解できるものであるように

思うのだ。それは、社会生活を送るまでに修得しても

遅くないと思うのは私だけだろうか?与えられたものをこなす

訓練を受けたであろう、その平均的な教育を受けた人、

その中にも偏った人が多いという不思議。

考える事をしない恐怖。


考え方、覚え方、発展の仕方はそれぞれだけど、

それを、個別性を尊重させた教育システムを構築すべきだと思う。


まずは、自分で考え調べるという当たり前の事、反論の機会、

尊重する場、この社会システムにあるのだろうか?

そう考える。 今はもう帰ってこない、今を大事にしたいと思う。